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SixTONESの「マイクリレー」について語りたい

第一次・第二次共にリーボック戦争に敗北した。

数量限定&先着順と聞いた時から覚悟はしていたものの、やはり悲しい。
優しいフォロワーさんたちが、アプリからならいける、Wi-Fi切ってやる、公式アカウントからならいけるなどと情報をくださり、全部やってみたがダメだった。合計で費やした時間が何時間だったかは考えたくない。

「私今回黒にしようかな」
「じゃあ、俺の分で白も買って」
「本当に夫婦でスト担だ(笑)」
などと会話していた数日前の自分と旦那を張り倒したい。そんな甘いもんじゃねーぞ。

チケットと同じだ。当たる人は当たり、外れる人は外れる。
今回がダメでも、またいつかいいことがあると思って気持ちを切り替えよう。転売ヤーだけ滅びてくれ。

さて、気を紛らわすためにnoteを書く。
6月14日発売の新曲「こっから」。歌番組や情報番組で披露している姿や、ようやく手にできたCDを聴いて思ったことだ。

メロディーを歌い継ぐって、実はめちゃくちゃ難しいんですよ!!!


さらっとやっているように見えるが、これは当たり前に出来ることじゃない!と声を大にして言いたい。
“マイクリレー”と称するのが一番わかりやすいかもしれないが、そもそもマイクリレーって何?

マイクリレーとは、ラップの形態の一つである。
一つの楽曲の中で、複数のMCがそれぞれの小節を担当しマイクを繋いでいく。たいていは楽曲のテーマについてMCがそれぞれの想いをラップするという形態が多い。

※ニコニコ大百科より

ネットで検索したら、ニコニコ大百科にしか項目がなかった。仕方がない。基本的にはラップの場合にしか使わないのか、マイクリレーという表現。
表現として分かりやすいので、一旦ラップだけでなく音階のあるメロディーを歌い繋ぐのも「マイクリレー」とする。

歌うのが一人なら、最初から最後までメロディーラインを同じ人が歌う。だが、2人以上になると一つの曲の一つのメロディーを分担して歌うことになる。これの何が難しいか。

テンション感である。

合唱曲でもま~~~よくある。特にポップスに多いかもしれない。
最初アルトがメロディー、次に男声がメロディー(女声が、うーとかあーとかのオブリガード)、そしてサビはソプラノがメロディー(アルトと男声がハモリ)。これは一例だが、そういうパターンがよくある。
全部のパートに見せ場作ったろ、という編曲者の心遣いかもしれないが、これがなかなか難しいのだ。

最初にアルトが緊張感を持ち、曲の情感を十分に意識して歌いだすとする。この間の数小節、他のパートは暇である。
次に男声にメロディーが移る。アルトが歌っていた間、他人事のようにぼーっとしていた人は出遅れる。アルトが差し出したバトンを受け取ることなく、自分のタイミングで走り出してしまうのだ。
しばらく言葉らしい言葉を歌っていなかったソプラノ、一番盛り上がるべきサビでメロディーが回ってくる。気持ちも言葉も発声も乗り切れないまま、中途半端なメロディーになってしまう。

合唱あるあるだ。ここで指揮者が振るのをやめ、「へたくそ!」と叱責が飛ぶ。

つまり、歌い手にとってはぶつ切りのメロディーでも、お客さんはその「一曲」を通して聴いている。Aメロ→Bメロ→サビと、曲として自然に流れていき、盛り上がっていかないと変なのだ。繋がりのない、物語のない歌になってしまう。

長くなったが、ここで「こっから」に戻る。特に、「俺、悪くない~」のモグラ叩きダンスの後のこの部分。

見てみたい(慎太郎)→こっから(樹)→燃える未来(髙地)→
メラメラ(ジェシー)→まだまだ(北斗)→自分で(きょも)→
決めつけんな(慎太郎)→限界(ゆごジェ)
探せお前の(樹)→正解(ゆごジェ)→本当の自分なんて居やしねぇ Yo!(全員)

畳みかけるような怒涛の細かい歌割り。
ここで、誰か一人でも気を抜いていると、あるいは出遅れると、曲の疾走感がそこで失われる。まるで一人の人が歌っているかのように、勢いのまま駆け抜けなければならない。

それはこの曲全体を通して言えることだが、「同じテンション感で違和感なくメロディーを歌い繋ぐ」というのは、相当気を張っていないとできないことなのだ。

そして、team SixTONESの方たちならよく分かっていると思うが、彼らの歌はその時々で変わる。誰かがアレンジを入れてきたり、その場のノリみたいなものがあったりして、結果的に歌番組それぞれで違うバージョンを聴いたかのような気になるのだ(今回だと、DayDayでの歌唱が特に良かった!)。

だから、前の人がやったことを瞬時に理解して、そのテンションを持続させるという高等技術が必要になる。

いい例かなと思うのが、You Tubeに上がっているライブの「S.I.X」。昨年のツアーのものだ。

1:52辺りからの、“唯一無二のStyle 塗り替えるHistory~”以降、6人が歌い繋いでいくところ。前の人がどう歌うかによって、次の人の歌い方がどんどん変わっていく。CDとは全然違う。多分、公演ごとにも違っていただろう。

絶対に曲を盛り下げない。歌の流れを止めない。一人でも冷めていたり気を抜いていたりしたらできない、その集中力。
それを、涼しい顔して、時に笑顔で、本当に楽しそうにやるからSixTONESはすごい。だから、SixTONESのライブは面白い。全ての公演が一回限りの、唯一無二のものになる。

それはバラードにおいても同じことだ。6人中5人がどんなに情感を込めて切なく歌い上げても、1人が何も考えずにあっけらかんと歌っていたらそこだけ異質になる。
「同じテンション感で歌い繋ぐ」ことは、しかもライブの3時間近く通してやり続けることは決して当たり前ではない、と思う。

細かい歌割りであればあるほど、全員が同じ気持ちでこの曲に向き合っているかが露呈する。たまにこういうことに注目してパフォーマンスを見てみると面白い。
夏の大型歌番組で、またかましてくれるのを楽しみにしている。