コンビニ人間
今更ですが読みました。
なんかね、読んでてちょっと怖くなる本は久しぶりだったな
ホラーの怖さではなくて、人間の核心をつく怖さというか。海辺のカフカを読んだ後と少し似た気持ちになった。
ダルちゃんといい、コンビニ人間といい、「普通の人間」を装うことに多くの人が共感する時代なのかなと思ったけどどうなんだろう?
自分はどうだろう?
もう装うことにもなんの抵抗も感じないぐらい初めから装ってる気もする。みんなそんなもんじゃないの?ってどこかで思ってる
いろんな自分がいるし、その場によって変えているし、でも全部自分だし
その一部の自分を嫌いなこともあるけど、基本的にまるっと好きでいてあげたいなと思ってる
話が逸れたけど
普通を装うことは悪いことなのかな?
みんなが素のまま社会に出たらそれこそ動物園のようになるから、普通を装うのってある程度必要だと思う
でもそれに息苦しさを感じる感覚はもちろんよくわかる
「相手の嫌がることをしない」
って小学生ぐらいで習うじゃない?これって最強に難しいなって最近思ってて
だって何が嫌かって本当に人によってぜんっぜん違うから。人前で褒められて嬉しい人もいれば嫌な人もいるし、ご飯作ってもらって嬉しい人もいれば嫌な人もいるんだよ?ちょっと難しすぎない?
だからよく問われる普通って何?ってなるよね。
とりあえず最近はちょっとずつ、自分を緩めていってあげようかなって。大人数は本当は嫌いとか、長時間の飲み会は好きじゃないとか、元気じゃない時もあるとか。
自分の生の叫びもちょっとずつ表面に出してあげようかなと。うまーくね
一旦かぶった皮を ”うまく” 脱皮する
それが味になるのかもと
それが大人になるということなのかもと
いっちょまえに思ってる子供です。
おわり。
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