いま、やるべき仕事が片付いたので、汗をかきたくて半身浴をしています。

俺だってこういう普通の生活するんですよ。
よなよな子どもの血を飲んだりなんてしません。
普通のというか、正確には上の文章は少し盛っていて、 “やるべき仕事”なんてたいそうなものは私には特段ないので、ちょっとかっこつけちゃいました。

昔からよく俺とか私とか、文章の中で一人称がコロコロしちゃう癖があるんですけど、こういう癖がある人はナントカって書かれてたのを記事で読んだことがあります、昔。ナントカって言ってました。
ミステリーを書きたいワケではないので、意識してなおせるもんならなおしたいけれど、それ以上に推敲をしたくないのでこのままいきます。

そんで、半身浴なんて生意気なことしてるんで案の定手持ち無沙汰になって久しぶりにnoteを書いています。

最近よく思うんですけど、不完全さを愛したほうが楽しいと思います。
すべての人やものは不完全であるが故に愛する余地があって、また愛される余地があると思うんですよ。
すべてが完璧な状態の人やモノがあったとして、それを気に入るのなんて当たり前のことで、でもそれは愛とは違うじゃないですか。全部自分の思い通りになってくれていることに対する満足というか。
愛し愛される双方向の信頼関係ではなくて、一方的な支配欲の解消に近いと思うんですよ。
自分の思う理想像を無意識のうちにモノや相手に求めてしまって、あろうことかそれを“信頼”だと言って、一方的に理想を押しつける行為すら相手のせいにしている様子をたまに見たりしますが、それは“信頼”なんかではなくただの依存ですね。
だからそもそも、モノに対しても人間関係においても、もちろん自分自身に対しても完璧を求める必要なんてないと個人的に思うんです。
すべてのものは歪で、欠けていて、流動的で、循環しているので、理想の型にはめようともがいても自分も周りも苦しめてしまうことになると思います。
もっと楽に構えれば、もっと楽しく暮らせると思います。

って、TikTokとかYouTubeのショート動画とか各種SNSについて考えているときに思いました。

けっこう汗かいたのでぼちぼち半身浴やめます。
またこまごま書いてこうかなと思います。

😺👌

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