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【そろそろ星の話をしよう】太陽獅子座入り、守りを緩めていく。

2024年7月22日17時ごろ、太陽が獅子座に入ります。

最近、
「守らなくていいよ。」という声がずっと来てて、
地球人とneo地球人の違いは、
バウンダリーだと気がつきました。

不思議すぎるので、わかりやすく書きます。
そして今日の話は、
太陽獅子座シーズンを生きる時、そしてこの先の地球を生きる時に
すごく大切だと気がつきました。

とはいえ、個人的な考えが今日は(今日も。)多めなので、
不快な方はスルーしてください。


昨日ふと、
小学校5、6年の時の担任の先生のことを思い出しました。
この先生に私は毎日、朝から放課後まで廊下に立たされて往復ビンタをされていたのですが、(叩かれる理由は毎日色々でした。誰かと喋ったとか、帽子をちゃんとかぶってないとか。とにかく嫌われてたのだと思います)

もし私が、
私も先生のことが嫌いで
自分が毎日、いろんな嫌な言葉を言われたり
怒られたり叩かれたりする理由を納得できていたら

私はもう少し、自己肯定感を保てたかなと思ったのです。
あの頃の私に、「あなたは何も悪くないよ。」と言ってくれる大人がいたらよかったなと考えたり。(叩かれていたことを、家族には言えなかったので。)

そして子供(あの頃の私)は、自分の心を守る術を知らないよな、とか
自分の心を守らなくては、ということも考えつかないよなって思ったのです。



子供って
見ているだけで幸せになります。

子供の持つオーラとか、純粋性とか、残酷さとか
素直さとか、考え無し(子供なりに考えてはいる)に見えるとことか、
そういうの全部が

大人を幸せにします。

大人になると失うものを、子供は持っているからです。

それは、バウンダリーです。

子供はバウンダリーを持ちません。
先に書いた、昔の私も、
自分を守るものを、心の中に何も持っていませんでした。

バウンダリーを持つ、ひくのは
外に自分を傷つけるものがあるからです。

子供は自分が誰にも傷つけられない前提なのです。
(もしその子が、バウンダリーを必要とする環境に居続ける場合は別かもしれませんが、それでも傷がつくままにいてしまう子供は多いと思います)

だから、未来が怖くない。
”誰かが自分を傷つけるだろう”なんて考えながら過ごしていない。

だからこそ
自分を傷つける大人に出会ってしまった時には
それをそのまま受け入れてしまったりします。

そして、
傷つける大人が悪いんだ!って気がつけばいいけど
真っ直ぐに世界を見ているぶんだけ
「自分が悪いから」だっていうふうに思ったりします。


で、何を言いたいかというと、
これからは、そのバウンダリーをなくしていいんだと思ったのです。

どんな人生を過ごしてきたかにもよるけれど
大人はみんな多少なり
盾を持っています。人によっては重たい重たい盾でしょう。

どこで手に入れたか、いつから持っているのか自覚はないと思いますが
盾を持ってないと、痛い目に遭うよ。と教えられてきたし
そういう集合意識が、
傷つける人を生み出していました。

そして、その盾が、
他者信頼を妨げたり、自分を怖がりにしたりしていました。

もし、あなたがその盾を手放して、
子供のようなバウンダリーのない心で生きたなら、
どうなると思いますか?

ちょっと考えてみてください。

ネガティブなエネルギーから身を守れない?
傷つけられる?

そういうふうに考えた人は、
【周りは敵】という前提を外してください。

周りの人に傷つけられ
ネガティブなエネルギーに疲れてしまって
人がたくさんいるところにいると疲弊する。
そうなる前提を外してみるのです。



みんな自分のことが大好きで、
みんな自分の面倒を見てくれる優しい人。って
わざわざ考えないくらい当たり前に
そう信じているのがいいと思っています。

前にどこかのライブで、
マタドールみたいに、起こる問題や人の言葉をさらりと交わすようになったらいいです。という話をしたんだけど、

この盾も同じです。
盾って、相手の剣を真正面で受け止める前提なので。
自分を傷つけるものは、前提を変えればすぐに現れなくなりますが
最初の頃は時々現れたりします。その時には交わしてほしいのです。

交わして、もう忘れる。
自分のエネルギーをそこに留めない。

そして同時に、
そういうことが起きてもいい、という許可も出しておく。
(夢が叶う人って、叶わなくてもいいという許可を出せている人なんです)


今地球は、調和と統合に向かっています。
それに反するものは不調和や分離、分断を生み出そうとしています。
バウンダリーという考え方は、分断です。

自分を傷つけるものは何もない。
もう自分を守らなくていい。

そう考えてみて
もし心がザワザワする人は、
前提を外すところからやってみてください。

もし。バウンダリーを持たない人が増えたなら。

ひとりひとりが、自分を魂のままに素直に表現し
その人の宇宙に用意された豊かさを手に入れて
何にも縛られずに、他人と理解しあい手を取り合っていく

とても平和で穏やかな世界になると思います。

太陽獅子座シーズンは
自分を表現する、ということがテーマになりますが
もし自分がバウンダリーを持たず、周りに敵はいないという前提なら
自己表現は今のように挑戦的な意味は持たず、
"命の喜びの表現"という元の意味に戻ると思います。

愛をこめて
elly

追記
今日の記事は
バウンダリーを持つことがいけないこと、というのでは絶対にありません。

「守らなくてもいいんだ」という思いが
あなたを楽にしてくれるならそちらを選択してほしいし
それが逆にあなたをより怖がりにするならバウンダリーは必要です。

自分を守りながら生きている人を見て
私はあの人と違うから良い。というエゴに使うのではないということ。

アセンション問題でもよく起こる
「あの人はできていない。私はできているから良い。」
という視点は分断の視点です。

見つめるのはいつも、人との比例を一切なくした自分の内側です。

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