専業botterへの道-帰り道なんか憶えちゃないさ
こんにちは。片道切符マンです。
DEX botの開発にひたすら時間とお金を消耗している今日この頃です。
結果が出なくてヤバイデン。
息抜きがてら、私が何故仮想通貨の専業botterになったのか、なるしかなかったのかという経緯をポエムとして書いていこうと思います。
前回のnoteは下記の「高頻度botを雑に作るイメージ」というテーマで
これは、多少なりとも参考になる箇所があったかもしれませんが、今回のnoteでbotの参考になる事はありません。ポエムです。
トレーダーの背景には様々なストーリーがありその一つのお話として。
簡潔に書くと、借金いっぱいあったけどbotterになって何とかなったよって話です。
何で借金いっぱいあったの?って所まで遡って書いたら、随分長ったらしい自分語りキモーイになってしまっていたので、お暇な人が時間つぶしとしてお読みいただければと思います。
そして、これは大事な事ですが完全に"反面教師"としてお読みいただければと思います。
身バレ防止の為、フェイクも織り交ぜてありますので悪しからず。
前置きはこの辺にして、行っっっってみよう!
1章 戦うおやじ
親父が死んだ。
あれは、忘れもしない3年前の冬、、
・・・
いや夏だったかな。
5年前だったかも?まあ憶えてねえや。
ともかく親父が死んだ。
親父は、傍から見ている分には面白い人間だったろうが、家族から見たら中々に困った人間でもあった。
地方の零細企業を経営していたが、資産と呼べるものは何一つ残っていなかった。
わずかばかり残っていた現金は、親父が入院中に愛人のヤクザが全て引き出して逃げていった。
残った借金は諸々合わせて7千万ぐらい。
事業性の借り入れもあるが、親父はすぐに乗せられて連帯保証人になってしまうので、お前は俺の親友や!と言って近づいてきたヤカラや不倫相手の借金を被ってしまった部分も複数在った。
死の間際に聞いてみた。
親友やと言っていた奴は一度でもお見舞いに来たんかと。
「けえへんなぁ」
親父は少し寂しそうだった。
親父が死んでから色々な借金取りや愛人や有象無象が現れたが、私は特に意に介さず片端から千切っては捨て、千切っては捨てていった。
悲しんでいる余裕などない。
問題はそこではなく、父親の会社をどうするのかという事だった。
事業性の借り入れは多いが、毎年同じ仕事が入ることもあり、自転車操業ながらも継続は問題なく思えた。
長男は父親の会社に入っており、長男が事業を引き継ぐという事で話はまとまっていたので何の問題もないように思えた。(私は次男)
所が、父親の他界直前になって、長男がやっぱり引き継ぐのをやめて転職すると言い出した。
色々と言いたいは事あるが、何故せめてもう少し早くいわないのか。
それならそれで、色々と準備もできたのにと思った。
そして、継ぐつもりだったとしても
私が前もって伝えておいた「やっておかなきゃいけない事」を何もしていなかった事もわかった。
それで他の従業員も大慌てだ。
今の内に資材とかも売っぱらって、転職先を探さなくてはとか、誰か代役で代表者にするかとか。
・・・
その3日後親父は死んだ。
長男が継がないのならと急いで色々整理していったが、結局なに一つ出来ぬまま親父は逝ってしまった。
いざ父親が他界したらしたで長男が「やっぱりやろうかな」とか「やっぱりやめようかな」とかフラフラしよる。
三男は最初から我関せずの姿勢を貫いていたのでまだましか。
私は一言「全て自分がやるからもうええ」と。
ここからが怒涛の消耗の日々だった。
私は父親の会社を守りたいとか、従業員の生活を守りたいとかはの感情は薄かったが、会社を維持させなくてはいけない理由が一つあった。
それは、母親が全ての借り入れの連帯保証人になっており、かつ、母親の住む家に根抵当権が設定されていた事だ。
このまま会社が空中分解すれば「母親は自己破産して住む家がなくなる」という事が起こるのは100%確定していたのだ。
母親は私に
「自分が自己破産して家を出ればええで無理するな」
そう言った。
そう言われて
「はいそうですか」
と応えるような息子に育った覚えはない。
私は何とかするとだけ言った。
当ては何一つ無かったが。
もちろん幾つかの選択肢がある事はわかっていたが、端的に言ってしまうとそれらを選択する事は不可能だったのだ。
そこで私は従業員を集めて言った
「自分はこういう事態には慣れているし、こういった事案に精通している弁護士とも繋がっているから心配するな」と。
「今まで通り仕事を続けてもらえれば、数年以内に今の従業員の中から次の代表者を決めて引き継ぐ。その際には一切借金は背負わなくてもいいし、資材と仕事も全て持って行っていい」と。
従業員の方々は私が自分で事業経営している事を知っていたので、何とか納得してもらう事ができた。
ほぼ全てハッタリであるにも関わらず。
(瀕死の)事業を経営していた事は本当だが、それ以外はハッタリと目標・希望に過ぎなかった。
ただ、要は現実をハッタリに近づけていけばいいのだ。
この時私は35歳ぐらいか?
従業員は全て年上のおっさんおばさん達だった。
そしてこの時妻のお腹には二人目の子供が宿っていた。
・・・
こうして世は大借金時代を迎える。
お金の全てをそこに置いて来た!!
2章 経営状態を精査して愕然
自転車操業にすらなっていない!?
次に進む為にはまず現状を正確に把握しなくてはいけない。
状態によってどのような選択肢が取れるのかが変わってくるからだ。
従業員の方々には今までどおり仕事を続けてもらいつつ、私は経営状況の把握や借り入れの整理を進めて行った。
成長は無くとも継続自体は問題ないだろうと思っていた会社であったが、精査してみると思った以上に危機的状況になっていた。
動かせる金融資産はないに等しく、長年の慣習、悪習によって、支払が先に現金で、売上げは後から6ヶ月先の手形で入るみたいなものばかりだった。
だから30年以上続いた会社なのに借金は一向に減っておらず、現金が足りなくなったら新たに借り直して繋いで来ているだけなのだ。
私は度々銀行や税務署で話し合い(ほぼ喧嘩)をするしかなかった。
都会では違うのかもしれないが、少なくとも私の地元では税務署も銀行も回収する為には平気で嘘をついてくるものだと学んだ。
法的にはどうなのか、という事も知っておく必要があったので関係する法律も沢山勉強した。
その上で弁護士事務所を訪れてみると、まともな弁護士というものは意外と少ない事も知った。
法律の幅は広すぎるので、即答できなかったり忘れてしまっている事があってもそれは仕方がない事と理解しているが、決め付けで話を聞かなかったり話す内容が毎回コロコロ変わったりする弁護士が多すぎた。
結局10件ぐらい回ってようやく話の通じる弁護士と出会えたが、最初の一年半ぐらいは銀行側の弁護士とも全て私が対応するはめになった。
法的にはどうだという事がわかり、借入先とも話をしたが結局選択肢を増やす事はできなかった。
金が無くとも何とか会社を繋いで行くしかなかったのだ。
余談ではあるが、明らかに複数の銀行法違反をしていたので関係各庁まで赴いて状況説明及びデータ提示(録音、メール文書等)も行なったがどこも何もしてくれなかった。
何の為の銀行法、規制機関なのか。潰した方がいいんやないやろうか。
3章 金策に走り続ける日々
諦めの悪さは毒にもなる。
とにもかくにも金がなかった。サイクルが良くないから当然そうなる。
月によっては支払いが結構な額飛んで行くが、現金が無い。
仕方なく糞怪しい割引業者で手形を割引に行ったりしてなんとか現金を確保したりもした。
それでも足りない時には消費者金融に走る事もあった。
仕事を続けるには資材を仕入れる必要もあるが、現金がないからカードを利用する。
しかし、カードの利用可能残高もほとんどなく、このカードは残が2万でこっちは1万だから、この資材にはこっちのカード、この資材にはこっちのカードを使うみたいなレベルだ。
良い子は絶対に利用してはいけないリボも利用した。
自分のリボ残高もパンパンに膨れ上がって500万ほどになっていった。
取引先が計画倒産して大事な売り掛けが回収できないような事も度々起こった。
なんて業界だと思った。
昔に比べて随分ましにはなったが、確かに昔から社内はごろつきの寄せ集めみたいな所があったなと思い出した。
小指がない人間もいたから、小さい頃は親父はヤクザかもしれないと思っていた。
現在の社員は概ねしっかり指示に従ってくれたのがせめてもの救いだ。
こんな日々の中であったが、私は自分の家族には変な我慢をさせたくなかった。
我慢が良くないとは言わないが、娘が毎年楽しみにしている誕生日のディズニー旅行やクリスマスプレゼントを我慢させたくはなかったのだ。
父親の意地だ。何とか金を用意した。
私は家族には金が無い事を最後まで話さなかった。
怖くて話せなかっただけなのかもしれないが。
ひたすら様々な事に消耗し続ける日々が数年続き、徐々にそして確実に自分の精神も蝕まれていった。
私は元来諦めの悪い人間だったが、「死んでも諦めてたまるか」という考えは毒にもなるのだ。
この頃の私は、死を考えた事があるというよりも、常に死ぬ事を考えていたと言った方が正確だろう。
それは死にたいという訳ではなく、自分が死んだら生命保険が入るので家族に幾ばくかの金を残せると考えたからだ。
でも本当は死んでしまいたいという感情も少なからずあったのだろう。
そんな時、長渕剛の歌が良く思い出された。
死んじまいたいほどの苦しみ悲しみ
そんなものの一つや二つ
誰もがここあそこにしょいこんでるもの
------------------長渕剛-STAY DREAM
自分の弱さが悔しくて情けなくて仕方が無かった。
死んじまいたい気持ちと、娘の成長を見守らずに死んでたまるかという気持ちが常に戦っていた。
こうして今記事を書けているという事は、妻や娘は私にとって命の恩人という事だ。
この頃に私は遺言を書いてそれを隠している場所を妻に伝えた。
いつ何が起こるかわからないからねとだけ言って。
ネガティブな感情は伝播するものだと思っているので、それをさせないよう人前では常に平静を装った。
妻はもしかしたら気がついていたのかもしれないが。
これはあくまで個人的な感覚だが、絶望が人を殺すわけではないと思う。
希望が見つからなくて死ぬわけでもないと思う。
希望を探さなく(探せなく)なった時がダメなんだろうなと思う。
もしこれを読んでいるあなたが希望もなく、絶望の淵に立たされた時には希望を探すのだけはやめないでほしい。
希望はしれっとした顔していつも隣に座っているんだと思う。
誰がどう見ても諦めた方が良くてもう終わっている状態だったが、私は希望を探す事だけはやめなかった。
そんな時にふと思い出したのだ。
確か少しだけ仮想通貨を持っていたなと。
現金化できそうなものはあらかた現金化してしまっていたが、仮想通貨はまだそのままだったはずだ。
4章 仮想通貨に一縷の望みを託して
取引所にログインしてみると僅かばかりだが仮想通貨の現物があった。
親父が死ぬ少し前、私は仮想通貨という世界に可能性を感じ取引所間のアビトラを自動売買でやろうと思っていた。
結局この計画は親父が死んで途中で頓挫していたが、取引所に残っていた現物を現金にしてもう一度取り掛かることに決めた。
数十万程度の現金にしかならなかったが、
当時1万円用意するのにも苦労する状態だったので
とても大きく大事な資金となった。
それまでも思いつく限りの金策を試したり考えたりしたが、会社の継続と同時にやるには時間的にも物理的にも困難だった。
ただ、botの開発なら出来ると思ったのだ。
文字通り命がけのbot開発だったわけだ。
明日の生活を心配するレベルだったので、すぐにでも結果を出せるものが必要だった。
界隈のtwitterやnoteを読み漁ると、高頻度botというものを駆使して月次数百%出している人達が目に付いた。
これしかないと思った。
資金が無いからスイングやアビトラでは意味が無いのだ。
高い利率でないと意味が無いのだ。
どうやって利益を出すのかさっぱりわからない状態だったので、なけなしの金で有料noteも買った。
幸いにして早い段階で良い(理屈的に正しい)情報に触れる事が出来たので、確か2ヶ月目ぐらいからbotで数万円の利益が出るようになった。
後はこれをいかに早く増やして行くか。
じっくり研究する余裕は無いので雑に進めてリリースをとにかく早くするように意識した。
これが第一弾のnoteに繋がっているのだ。
無我夢中で進めていると、いつしか月数万円が数十万、数百万へと変わっていった。
これは、それまでの消耗戦よりもはるかに楽な事だった。
開発が楽だったと言う意味ではなく、消耗するだけの事と違い前に進んでいる感じがしたからだ。
そして、ある時にふと気が付いた。
「あれ?俺もう死なんでよくね?」
目先の利益を追うのに必死で気がつかなかったが、運良くそれなりにbotで稼げるようになっていて、いつのまにか借金を返済し終えるだけの金があったのだ。
光が見えた瞬間であった。
5章 後始末
botの利益だけで完済したわけではないが、無事完済し、根抵当権も解除する事が出来た。
新しい会社を立ち上げて、そこに資材も仕事も移し、約束どおり借金を背負わせずに従業員の一人を代表にして引き継いだ。
新しい会社にする必要はそれほどなかったが、旧会社はまだごみが付き過ぎているからな。
ある時親父が病室で言っていた。
会社経営をしていると不安で眠れない時があると。
酒を呑んで寝てもすぐに目が覚めると。
その気持ちは良くわかる。
親父よ。これで眠れるようになったんじゃないか。
誰も、何も、失わないようにと思って始めた戦い、ハッタリを現実に変える事が出来て一安心ではあるが、その過程で私自身は色々なものを失った事も間違いない。
全てのリスクを引き受けてやってきた訳だし、引き継がずにそのままのらりくらりと代表としてふんぞり返っててやろうかとも思ったがやめておいた。
娘の生活圏を変えるのは良くないとも考えたし、何より仮想通貨botに私は可能性を感じていたからだ。
こうして私は専業botterとなった。
6章 よー、そこの若ぇの
私はたまたま運が良かっただけで、私のようなやり方生き方は決して誰にもお薦めしない。冒頭でも書いた通り、反面教師として。
私は100回同じ事をやったら99回死ぬ自信がある。
それと、自分が特別苦労したとは思っていない。
みんなそれぞれ頑張っているんだと思う。
若ぇ衆たちよ
逃げるのも立派な戦略の一つ!
7章 愛する娘達へ
私はこの先も無事に生き残って行く事が出来たら、いつかこの辺りの経験を本にして娘達に渡したいと思う。
エッジとは何かなどの技術的な事から、その裏で父ちゃんは何を思っていたか等々を。
多分私は長生きしない。
だから娘達が将来何かに迷う時、何かを打開したい時に私の代わりに勇気や技術や反面教師を与えれられる本にしたい。
本の書き出しはこうだ。
「父ちゃんは金がなかった。」
お金の為に苦しまないで 歴史に残る風来坊になるよ
前しか見えない目玉を付けて
どこへ行くのか どこへ行くのか
--------------------THE BLUE HEARTS-首吊り台から
あとがき
やあみんな!
こんな所まで読んでくれてありがとう。
ちょっぴり切ないポップなラブストーリーはどうだったかい?
実際はもっと悲惨なものだったから書けない事も沢山あるし、ソフトな感じにしてみたよ!
唐突ですが、私が最近少し思うのが私も界隈の方々と交流を持ちたいなという事です。
成長に行き詰っているからとも言えるし、何というかある種の燃え尽き症候群みたいな感じで前ほどの必死さが出せていないと感じるんですよ。
体の一部はいつもホットに成長しているのに。
なので、技術と技術の交換だったり、知識と知識の交換みたいな刺激が必要なのかなと。
例えば、裁量上手いけどbot作れない人に私は技術や自作のbotを渡し、逆に私は裁量技術をbot化していったり、はたまた、CEX botは作れないけどDEX botを作れる人と技術をswapしたりとか。
だからこのnoteはその為の自己紹介のつもりで書いています。
イカレた中年がおるもんやなと笑って頂けたら幸いです。
界隈の強者の方々は、もうすでに一財産築いていると思いますが、私は後始末をしてまたゼロからのスタートで金のない中年です。
お金持ってると思われても困るな~という思いで書いてます。
もし食事に行くような機会があればその際は
高級寿司ではなく、是非サイゼで!
みんなオラに元気を分けてくれ!
家族と金と命以外なら技術でもbotでもオラいくらでも提供すっぞ!
ではでは!
何かご意見、ご指摘等ございましたら
とぅいったまで宜しくお願い致します。
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