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大好きな名古屋

6月25日、最終出勤を終えた私は二年三ヶ月住んだ家を引き払って、名古屋のとあるホテルで一夜を過ごした。沢山泣いた夜だった。

ホテルの窓から見えた景色は人っ気のない江川線、大都会名古屋も街は眠るね。
名古屋のそんなところが居心地が良く大好きだ。

寝落ちして目覚めた深夜2時

地元から就職を機に引っ越してきた愛知は私の出生地で、地元の次に長い時間を過ごしてきた。
住んでいたのは愛知の端、江南市というところだったが、20分で市内に出れる好立地で住むには何も不自由しなかった。
むしろ物価が安くて、程よく田舎で、生活しやすい町だった。

だけどやっぱり名古屋に住みたい。
金沢に住んでいた私にとって、名古屋は十分すぎる街だから。
電車に乗って移動し、駅前の喫茶店で一休みし、おしゃれして街中を歩きたい。
そんな生活は私の中でずっと憧れだった。
だから仕事を辞めたら、名古屋に住む。名古屋に住むために今の仕事を頑張る。
そんなマインドだった。


そんな中、神奈川への引越しが決まった。
少し前まではあんなに都会に憧れがあったのに、自分の中で神奈川で生活する自分が全く想像できない。
不安だらけ。


愛知に二年住んでみて分かったことは、やはり名古屋は車社会だったこと。
時には電車も使う、けれど車での移動が楽すぎる。
免許をとってから一度も車に乗らない期間がないので、単に車なしの生活に自信がなかった。

そして分かったことがもう一つ、都会が好きなのではなく名古屋という町の存在が好きだったこと。
街の雰囲気、人柄、文化、電車、本当に全部が好き。
県外から帰ってきても、愛知の地名を見るとなぜか安心するんだ。
豊橋であろうと安城であろうと、帰ってきた〜ってほっとする。
最早地元のような感覚。それが地元外で感じられるようになったのが嬉しかった。

引越しが決まった2月から引越しの6月末までの四ヶ月、なるべく愛知の日常を肌で体感したいという気持ちで日々過ごしていた。


オアシスの屋上は15年振りくらいに来た

名古屋の一番好きな所は喫茶店文化があること。数えたことないけれど五、六十件程は訪れたと思う。
以前喫茶名古屋という記事も書いたが、名古屋の人の温かさを体感できる素敵な場所。
私が熱中して好きと言えること、今までのように何気なく喫茶店に入ることができなくなるのが辛い。

行けていなかった喫茶、何度も行きたくなるような好きな喫茶、この四ヶ月はいろんなところへ行った。
大好きなモックとパスカル青山へ最後に行った時は、涙が出そうなくらい寂しかった。

質素であればあるほど好き


街の雰囲気は駅や電車も大きな特徴だと思う。
喫茶店をきっかけに使う駅がほとんどだったが、その度に街散策をしていた。
初めて行く街の新しい景色を見るのが好き。

最寄りの犬山線と直通運転している市営地下鉄鶴舞線はよく利用した路線。
この青々しいホームと、赤池から上小田井方面の接近メロディが好き。
引越し当日、名古屋を出る前最後の喫茶活をするため、初めて川名で降り喫茶店へ向かった。

鶴舞線川名駅
喫茶葡瑠梵

11時を過ぎていたにも関わらず、あんバタートーストを頼むとモーニングをつけてくれた。
名古屋の人の優しさを更に実感した日。いい喫茶だった。


そんな喫茶店も、後継がおらず閉業していくし、好きな街も次第に変化していく。
中日ビルのリニューアルした姿を見た時、名古屋の街の変化を間近で見届けたいと言う気持ちで苦しかった。
地元より、愛おしくて最好きな街だし、私を受け入れてくれた優しい街。
それが愛知であり、名古屋だったなと、住んでても離れてても思う。


安定した仕事を辞め、生涯生活するつもりだった土地を離れ、明日すら不安な環境でこれから生きることを決めた。
電車での移動より車が好きだし、名古屋の喫茶店が好きだから神奈川ではほとんど喫茶店へ行くことは無くなったし、服を買う余裕がないのでおしゃれすることもない。
思い描いていた姿とは違うけれど、場所が名古屋だろうが神奈川だろうが、都会にいる自分が好きだとには変わりないかもしれない。


25日の夜、最後に同期からもらった手紙を読んで一晩中泣いた。
仕事を含め、愛知で過ごした日々が走馬灯のように蘇ってきた。
この二年間は、私の大青春だった。


この一年、ほぼ毎月移動した名古屋小田原間の新幹線。
仕事終わって、19時台の小田原が停車するひかりに乗るために必死だったな。

餞別の入った慣れないキャリーケースをぎこちなく引っ張りながら、新幹線に乗り込んだ。
さようなら、名古屋。大好きです。




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