ツイッターアカウントの話
普通に生きている上でツイッターアカウントなんて一つあれば十分であり、転生する必要もない。
インターネットに依存していた頃は、ツイッターのサブアカウントやら鍵アカウントやら存在していて、常時使ってないにしろ5個くらいのアカウントがあったように思う。
でも、普通にリアルに生きている上で、友人知人にフォローされて、ネット上の気になる人をフォローして、それでSNSっていうのは完結する。
サブアカウントも鍵アカウントも必要ない。
それでもなぜ僕がツイッターアカウントを新しく作って、転生してみたいと考えたのか?
自分なりの考えを整理してnoteの書こうと思う。
ど~~~~してもポエミーな感じになるので注意してください。
今の生活
社会人になって5年目、会社にも慣れてきた。
大人が言うところの「大人になってからの1年の短さ」も実感している。
そうなると、感情の起伏が薄れてくる。
喜怒哀楽は生活の中にもちろんある。
ただし、全部が薄い。
自分が中学生の頃、高校生の頃、大学生の頃、世界が変わってしまったかのように感じるほど感情の起伏が激しかった。
何も悲しいことはないのに、漠然と将来への不安に押し潰されそうになったこともある。
友達と喧嘩しただけなのに、もう学校へ行けないと思ったこともある。
そうやって自分の世界が目まぐるしく変化してしまうのは、自分の世界が狭いからではないと最近になって気づいた。
どちらかといえば、今の自分の世界の方が狭い。
学生時代の方が、もっと色んな人と会話していた。
もっと色んな人に話しかけて、新たな交流を求めていた。
今は違う。
会社の人と話す以外は、休日に大学の頃の友人と遊ぶだけ。
新たな交流はない。世界は狭くなってしまった。
ではなぜ、狭くなった世界は変化に乏しいのか?
狭くなってしまったがゆえに、新たな風が吹かないからだと思う。
もう、自分の感情を大きく揺さぶるような存在はいない。
一緒にいて安心できる妻と、楽しい友人たちと、二十数年かけて積み上げた上で、削り取って厳選された関係なのだから。
新たな交流を求めていた
ツイッターアカウントを新規作成した理由の最も大きな部分は、「心機一転」というところだった。
毎日のようにValorantをプレイしていて、今ではフルパ(5人組)でプレイすることができる日が多いけど、一緒にプレイする人が足りなくなる時期があった。
じゃあ、新たなネットの友人を作れば良いじゃないか、と考えた。
考えたが、なかなか実行に移せなかった。
もう厳選されている交流関係の中に浸って数年過ごしてきた自分にとって、大学一年生の頃のように「知らない人に話しかける」というのがどれだけ重いことなのか、思い知った。
僕の凝り固まって捻くれた頭の中では「フレンド募集してます!」というツイートができなかった。
メタ認知の暴走でもある。
・フレンド募集なんてミーハーなことをしている自分はどう見られるんだろうか
・フレンド募集などという新たな交流を求めるフレッシュさなんて自分にはない。
・知らない人と「初めまして」から始まる会話を続ける自信がない
・相手が良い人かどうかがわからないのに知り合うのが怖い
思えば、極めて軽度な対人恐怖症と言えるのかもしれない。
いわゆる、コミュ障というものの中の一種のような。
大学生の頃、一年生のときに仲良くなった友人が留年してしまって学科で一人になってしまったとき、新たな友人関係を築くことができなかった。
人にどう思われているのか?が気になりすぎてしまう性格も相まって、すでに形成されたコミュニティに入り込むことができなかった。
友人たちの中ではある程度、僕を面白い人間だと捉えてくれていると思う。
僕の面白さは"interesting"ではなく"funny"なのだと思う。
いわゆる、内輪ノリのユーモア。飲み会的な面白さ。
自分のことを面白い人間だと誤解して、それほど仲良くない人の前でユーモアを出そうとしたとき、失敗して恥ずかしい思いをしたことがある。
今ではわかるけど、僕はスベっても面白いような、せめて愛想笑いが起きうる状況じゃないと何も言えない。
話が逸れている。閑話休題。
そういうわけで、新たな交流を求めていたけど、「人にどう思われるか?」と「新たな交流をする自信がない」ことが原因で、断念していた。
キッカケとなったこと
そんな現状を変えてみたいと思ったキッカケがある。
大学生の頃にお世話になったサークルの先輩と遊んだときの話。
詳細は伏せるけど、その人はゲーマー界隈では"活動者"の側に属している人だった。
ゲーム業界の活動者と言うと、ゲーム会社に就職しているとか、そんなような感じになるので、あえて「ゲーマー界隈の活動者」と表現する。
いわゆる、コミュニティリーダーの一人だと言える。
僕は、昔から漠然と、「一方的に認知されるような立場の人間になりたい」と思っていた。普通に承認欲求だけど。
僕の知らない誰かに、何らかの活動を通して僕のことが知れ渡っているのは気持ちが良さそうだな、と。
だから、コミュニティリーダーというのは憧れの存在である。
サークルの先輩と、大学の友人達が集まって飲んで遊んで。
先輩は、これからの活動について悩んでいるようだった。
みんなして、ああでもないこうでもないと言い合い、先輩の相談にのっていた。
朝が来るまで語り合った経験は、大学生以来だった。
僕は正直、これから人生に変化は起きないと思っていた。
同じような生活を続けて、定年まで仕事について、まあ一番大きな変化は子供が生まれたときだろうな、と。
先輩は、人生を変えようとしていた。
元々チャレンジをする人だとは思っていた。
一番の驚きは、僕たちと再会するまでチャレンジの火が消えかかっていたこと。
具体的に何か力になれたわけではないけど、チャレンジに再燃するための燃料にはなれたのかもしれない。
僕がしたいこと
漠然と、何か僕もしてみたいなあ、と思った。
僕はずっと、インプットの奴隷だった。
漫画を読んで、アニメを見て、映画を見て、ゲームをして、Wikipediaを読み漁って。雑学好きなゲームオタクでしかない。
アウトプットをしていないわけではない。
アウトプットが続かないし、諦めてきた。
8年前の僕のブログ記事から引用しよう。
この文章は、今でも思い返すくらいに、感情がこもっていると思う。
僕はアウトプットに挑戦してきて、そして挫折してきた沢山の人の一人だ。
挫折、というのもおこがましいかもしれない。
劇的な出来事があってやめたのではなく。
正直なところ、ただ飽きてきただけだから。
そろそろ本題の結論
つまりは、何か変化してみたくて、ツイッターアカウントを作った。
新しい友人と、継続的なアウトプット。
結果として、新しい友人はできていない。
やっぱり新しい友人を作る勇気というのはすぐ湧いてくるものではなかった。
継続的なアウトプットも、怪しい。
実はNoteの更新頻度を増やしているのだけど、それでもやっぱり最後まで書き切ることができずに下書きばかりが増えていくのを止められない。
僕のNotionに溜まったNoteの下書きは80個もある。
一つ変わったことはある。
思っていたほど、変化するのは怖くなかった。
メタ認知も、今は落ち着いている。
ツイッターアカウントを作ることで環境を変化させてみようと思っていたけど、それは今の僕にはできないと気づいた。
環境ではなく、自分自身が変化しないとあまり意味はない。
まあ、少しずつ新しい人と交流できれば良いかな。
あとは、Noteをもうちょっと更新できるように・・・せめて週一回は。
今後について
ツイッターアカウントもせっかく新しく作ったけど、消すことにします。
元々、実験的な意味合いで立ち上げたアカウントだったので、そろそろ切り上げます。
本当に移行しようかと考えたときもあったけど、旧アカウントでFFになった一部の人たち、もう最近はほぼツイートしてない人たちなんだけど、その人達とのつながりが失われてしまうのは、もったいない気がして。
いつかその人達が久々にそのアカウントでツイートしたとき、その瞬間を見れたら良いな、という程度だけど。
そして、アカウント移行の大部分の理由は上記のとおりなんだけど、それ以外の部分。
ツイッターアカウントを情報収集サイト的に利用しすぎて、TLが機能していなかった点についても、フォロー整理したりリストを活用したりして解決することにした。
もとより、ツイッターが「おすすめ」が基本表示になったことで、某滝なんとかのゴシップ系や、陰謀論揶揄的なツイートばかりが表示されていたのは正直なところ、疲弊していた。
もちろん、根底にはゴシップ好きがあるし、陰謀論の揶揄も好きなところもある。ただ、そればかりが表示されるツイッターというのは。。。
そして、エッチなイラストレーターとコスプレイヤーのフォローを少しずつ外している。
ひとさまにおみせできないたいむらいんだったので。
開いたらゴシップと陰謀論と淫欲が溢れるTL、どう考えても健全じゃなさすぎる。毎日FRIDAY。IQが下がる。
そして、それらを見て発する自分の世の中ご意見ツイートも嫌だった。
どうしても何か言いたくなってしまう性分なので。
そういうことを公の場で言っている自分も、他人から見てポジティブな印象を持たれないことはわかっているので、嫌だった。
Noteなら、読みたい人が読むだけだからツイートしづらいことも言える。
結局変わったのは、ツイッターのフォロー/ミュート/リスト管理だけ。
だいたいそんなもん。
変革レベルで言えば、少年革命家のゆたぼん君には頭が上がらない。
うん? ゆたぽんだったか、、、ゆたぼんだったか、、、どっちだ。。。
響きがややこしいので思い出せない。ポケモンがボケモンではないことははっきりわかるのに、どうして。ゆた/ぼorぽ/ん。
あまりクオリティにこだわらずにNoteを更新していこう。
僕に必要なのは、習慣だろう。
せめて、「駄作」となるまで、書き続けよう。
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