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祈り

先日、1人の生徒が勤務先の塾を卒業した。
高校1年生から3年間、彼女のほとんどの授業を担当してきた。
うちの塾は担当固定制ではないが、私が担当できる科目と彼女の通塾科目が合致していたこと、そして彼女が私を指名し続けてくれたことがその理由である。

振り返れば、指名してもらえる嬉しさも、一人一人にあった教え方を見つける難しさも、思春期の精神的な揺らぎへの対応も、この生徒から教えてもらったように思う。
所謂「手のかかる」生徒ではあったけれども、素直な良いひとだった。
だから、勉強以外にもなるべくたくさんのことを伝えてきたつもりだ。

苦しいときの息の仕方、自分の思う少しでも善く生きる方法、など。
そういう、これからを助けてくれるであろうものを、3年かけて、渡せるだけ渡したつもりでいる。
それは祈りに似た行為であった。

そして今日、一通の手紙をもらった。
そこには、3年間の感謝と、私が伝えた言葉が書かれていた。
伝えたかったことが伝わっていて、ちゃんと覚えていてくれて、嬉しかった。
有り難かったのは、私の方だ。

毎年この時期になると、自分は無力だと思い知る。
祈り伝えた日々を信じて、生徒一人一人の底力を信じて、桜が咲くときを待つことしかできない。
合格は、私の力では掴めない。

だからこそ、自分の力でそれを掴んできてくれたとき、我が事のように嬉しい。
でももしダメでも、勉強よりも大事なことを一人一人に伝えてきているはずだから、そのことを覚えていてくれたらいいなと思う。
少しでも明るく楽しい道を、歩いて行ってくれたらと思う。
どうか、彼女の未来が光に満ちていますように。

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