ツイートとは_2023/7/18

 わたしはTwitterをもう10年以上利用しているのだが、利用者はご存知の通りあの頃とは様子が違う。

 使い始めた当初は確か高校1年生くらいだった。今はあまり見ない「bot」がたくさんあって(得体の知れないアカウントは増えただろうが)、友達と「萌えるシチュエーションbot」を音読しながら帰ったのを思い出す。引き出しはそんなに多くなくて、割と高頻度で同じ内容のツイートが巡ってくる。
 情報を仕入れる場というより、思い思いにつぶやく、まさにツイートって感じだった、ような気がする。懐古してあの頃はよかったとか言うつもりはないし、なんなら捏造の記憶かもしれない。

 今なんでこんなことを書いているかというと、あることが気になったからだ。気になったというか、わたしは前から意識していたことでもあるが、なにかというとツイートの「注釈」のこと。140文字という限られた文字数の中でなにかを正確に伝えることはなかなか難しいのだが、端的に説明しつつも、見る人に誤解を招かないように「注釈」の一文が付いていることがある。文章だけでなく、写真に関しても同じで、わかりやすい例でいうと「写真撮影時のみマスクを外しました」だ。この一文を見かけたことがある人は多いだろう。こういった具合に、見る人の解釈の暴走を防止する目的でつけられる一文。これを注釈付きツイートと勝手に名付けた(ALT機能ではない)。

 わたしはこの注釈付きツイートがどうしても気になってしまう。まあもちろん発信者の自由だけれど、ここで、「ツイートとは?」という疑問が浮かぶ。発信者は、自分のことをただ「つぶやく」のに、なぜ赤の他人のために注釈など付けなければならないのか。「こうは思われたくない」という自意識を抑えこまずにはいられないのか。そんなことまで考えてツイートしてる人は少ないのかもしれないが、その人の「つぶやき」をたのしみにしている身としては、注釈を見るとちょっとがっかりした気持ちになってしまう。それも含めてその人のつぶやきなので、勝手にがっかりするなよという話だが。すまん。

 炎上とかバズるとかクソリプとか、そんなものとは無縁な世界になってほしいものだが、諦めはついている。140文字だけですべてを理解したような気になって、赤の他人に意気揚々とクソリプする人、笑っちまうからやめてほしいけどな。

 そんなことでわたしのTwitter美学では、「ツイートに注釈を付けない」ことが高い順位にいる。ほかには「時事ネタには触れない」「攻撃は完全に無視」などがある。


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