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余生

 監獄よりも深い地下にいるような去年の晩秋のあの日々が嘘のようだと思ったから、そういう今の人生のフェーズをただ記録しておきたいと思った。去年の10月19日の手記に「私の人生は一昨日で終わった」みたいなことが書いてあるけど、今振り返ってみてもそうだったと思う。私の人生は去年の晩秋あたりに一度精神的な面で終わった。肉体と記憶は続いているけど、今の私の人生は余生みたいなものだと思っている。かつてsuisさんもそう言っていたように。

 去年の間にそれまで持っていた夢に本格的に区切りを付けた。それも私に第一の人生が終わったことを強く認識させているひとつの要因だろうと思う。夢を諦めその道に進まなかった先にいる自分がいま確立してきていて、余計に余生みが増している気がする。ほかでもない創作の道のことなんだけど。

人生から大義が引き潮のように薄れていく。このままではいずれ自分が空っぽになってしまうと思う。かつて創作の道で名を成したいなんて大口を叩いていた自分が、いまこんなざまになって、本当に何で生きているのだろうと思うこともある。私が死んでも世界は変わらないなんて在り来たりなことを、真っ当に考える夜もある。実際に名を成した人と比べて、自分はその上を行こうなんて本気で考えてた数年前の自分が馬鹿みたいだ。いまは平穏な生活しか望んでいない。大志は、おおかた大人になるにつれて薄れていくものなのだきっと。こうやって現実的でつまらないちっぽけな大人に成り下がるのか。私はそれを受け容れられない。私自身が、私の人生に大義を繋ぎ止めないといけない。潮の満ち干きは自然の摂理であって止められないものだけど、人の心はもっと不確実で、だからこそ動かしやすいはずだから。いま思うのは私のなかで創作を第一の軸にした人生という像が崩れただけで、創作自体は私の人生になくては生きていけないとはっきり感じたということ。この前ルックバックという映画を見たんだけど、その余韻がおおいにあるのだろうな。

それからやっぱりblenderをやりたい。3DCGを作りたい。そのために今はバイトしてお金を貯めないといけない。

それと、音楽を始めた。チェロというやつ。最近はこれが凄く楽しい。生きがいみたいになっている。音楽に無縁なまま終わる人生を避けられそうで嬉しい、貴方に一歩でも近づきたいと思う気持ちは、いまでも変わらない。

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