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2024.3.30


駅ビルの喫煙所にいました。なんとなくTwitterのタイムラインを流し見しながら、つまんなぁと思った、タイムラインに流れるのは自分がフォローしているアカウントのつぶやきばかりではなく、リアルタイムで注目を集めているつぶやきや画像、動画も交じる。風俗王を名乗るおじさんの女には困ってません的な自慢(なんか最近めっちゃ出てくる)、センスの良さそうな名前とアイコンで簡潔かつだれでも言えそうな感想がひとこと記された読み切りのエモそうな漫画のリンク、うたう猫、猫と仲のよさそうな犬、犬と仲のわるい犬。夜職の女の人の愚痴にはずいぶん詳しくなった。フェラ中に乳首を触られるのが鬱陶しくて死んでほしいこと、性行為そのものよりも前戯のキスのほうが耐えがたいということ。コンビニに並べられているスイーツの1割くらいは、風俗客に買われて嬢に差し入れられ、そのドーム状のパックを開けられることがないままごみ箱に直行すること、なんでこんなこと知らなきゃいけなかったかな、と思いながら、そんなことずっとむかしから知っていたでしょ、と思う。

とにかく喫煙所でわたしの作りあげたタイムラインのつまらなさに落ちこみながら、タイムラインがその人の鏡 みたいな格言的ななんかがあったらどうしよう、とか思いながら、惰性で煙草を吸って灰を落とした。起毛素材のゆるゆるしたパーカーに灰が絡まる。灰のかたまり。なんかいま、すべての事物に対してものがなしさを感じられます。喫煙所の扉は引き戸になっていて、側面に閉めたときの衝撃を緩和するためのゴムが貼られている。みんながそのゴムに甘んじて中途半端なところで手を離すから、人の出入りがあるたびにどしん、と鈍い音が響いて、内臓がかすかに揺れる。みんなはそんなこと気にならないのかな。わたしが必要以上に世界に目を光らせていて、なにかを見つけようとしすぎているのかな。隙かもしれない、わたしがいままで感じなかったこと、考えてこなかったこと、真新しい感情や感覚がほしくて、それを見つけたら自分のものにしようと必死になって、とにかく、言葉が足りない、考えたい、ずっと考えていないと心細い、空っぽになるのがこわい。それはつまり、わたしは究極の暇なんだということだ。


白髪混じりの女性がわたしに向かってにこやかに手を振る、というのはわたしの勘違いで、ほんとはエスカレーターでわたしのうしろに立っていた女性に手を振っていた。
ほんの数瞬、高揚した心がフリーフォールみたいに落ちていく。あーつらい、しんどい。かなしい。ばかみたいだ!こんなことで勝手にうれしくなって、そのあとすぐにかなしくなって、ばかみたいなのになんでやめられないんだろう。

わたしの中にはわたしが2人いて、ばかで愚かで幼稚なわたしと、それを制御する成熟したわたしがいつも仲違いしている。普段は後者が前者をたしなめたりなだめすかしたりして他者とのコミュニケーションを円滑に進めたり、自我のバランスをいい感じにとってくれたりするんだけど、鬱のときは後者が権力を持ちすぎてしまって、幼稚な方のわたしはいつも心の中でいじめられている。こうすべきではない、してはいけない、だれにも迷惑をかけずにひとりで解決しなさいって、わかってるけどさあ、わかってるから、鬱になってんじゃんって。

どんどんわたしが増えていく。押さえつけられてどうしようもなくなってしまったほうのわたしを、かわいそうだと思うわたしが現れる。

かわいそう かわいそう?

また同情している。わたしはすぐに同情する。同情することで、上に立ったような気にでもなっているのか。ほんとうは同じくらい悲惨なのに、同情したり、ゆるしたりすることで、与える側施す側の顔をしようとしていないか。いつだってそうだっただろう。つねに優位な段上にいないと耐えられなくって、完璧主義で、プライドが高く、可愛げのない、もう海にもどれないおさかな…



精神科の待合室は、和やかな土曜日の昼の風景に開かれている。比較的大きな通りに面しているのに、換気のためか入口はいつも3割ほど開いたままになっていて、そばを通りすぎる男子高校生のくだけた笑い声やその手元で再生されているであろうYouTubeの動画の音声が、真昼の光に包まれてここまで届く。
待合室は混雑していて、世の中にはこんなに精神を病んでいる人がいるんだと毎度新鮮に驚く。驚くというより、さみしい。わたしたちは一生わかりあうことはないンゴね…おんなじ日本に生きておんなじ言葉を話し、おんなじ病院に通っておんなじ病気を抱えているかもしれないのに。
最初は、外から入り込んでくる音や光があまりにおだやかで、きらきらとしていて、あたたかすぎたから、精神科の待合室には相応しくないというか、内と外であまりに世界が違いすぎていて気持ち悪いな、と思ったんだけど、よく耳を澄ませれば待合室のスピーカーから流れてくるBGMはピアノと弦楽器から成る、なんらかのサントラのワントラックで清らかで感動的ですらあったし、通りは交通量が多くて、というかあまりに距離が近すぎて、車やバイクのうなるエンジン音がいちいち心を逆撫でた。室内にいながら屋外にいるような、不確かな精神でわたしは重い瞼を究極まで細めて、リノリウムの床の汚れを、ぼやぼやと見た。



保健室の先生って想像よりも冷たいことがあってびっくりしちゃうよな。やさしくされたくて行ったのに、適当にあしらわれて傷ついて教室戻るみたいな。ほーんとにさみしい。でも保健室の先生からしても、やさしくてかわいらしい保健室のお姉さん先生♡みたいな像を勝手にモデリングされましてもという感じで、むしろ、わざと冷ややかな態度を織り交ぜることで威厳を保ったり、「保健室の先生」と「自分」のバランスを保とうとしているのかもしれない、これもまた同情。

望まれたキャラクターを演じるのはしんどい。

でもときどきすごくきもちいいよね。

ね?



ふらふらとした足取りで、金色の長髪を左右に揺らしながら歩く真っ黒なパーカーが目の前を横切った。受付で、どちらの先生の診察を受けるか尋ねられて、「大島先生で」と若干ろれつの回らない様子で答えてから、「やっぱり小林先生でいいです」と言いなおした。「え、小林でいいですか?」と受付の女の人はほんとか?が滲む声色で聞き返す。

その人はやはり歩いているというより揺れている、左右に振れるほうがメインみたいな感じでのそのそと移動して、わたしの目の前に座っていた女性の前でとまる。

「大島でしょう」
「え?」
「大島先生でしょあんた」

母親らしき女の人は呆れたといったふうにため息混じりに喋る。

そのあともふたりは何度か言葉をやりとりしていたが、男の人の言葉は複雑に捻じ曲がっていて聞き取れなかったし、女の人は周りを気にしてとても小さな声で話していたから、内容はわからなかったけれど、なんとなく揉めているようではあった。
精神科や心療内科の診察は往々にしてありえないくらいの時間待たされるので、たいていの人は診察の順番が回ってくるまで外で暇をつぶす。
その2人もしばらく話したあと出ていって、最後に聞き取れた会話は

「殴っていい?」
「だめだめ。なに言ってんのあんたは」

だった。

去り際、男の人の頬骨のあたりにおどろおどろしいフォントで英文のタトゥーが入っているのがみえた。


「Witness me.」

(おれをみろ。)


はあ、なんか全部かなしいんですけど。



帰り道の電車、わたしは座ってました。目の前に立ってる女の子3人組の左端ひとりが明らかに話題に入れてなくて、ずっと口が半開きの顔がものがなしい。
想像のなかで救おうとしてまう。左端の子は、真ん中の子とは高校時代からの親友なんだ、大学に入ってからあらたにグループに加わることになった3人目の右端の子のことを思って、真ん中の子はこのグループの関係値を均すために、わざとたくさん話しかけているのだ。左端の子だってまったく会話に入れていないわけじゃない、時折できる隙間みたいな沈黙に、適宜必要な訂正を入れたり、補足を加えたり、笑いだってちょっと取った。でも真ん中の子が話題にあげたなにかの写真をスマホで検索したとき、その画面は左端の子には向けられなかった。左端の子はちょっと背伸びをして、目を細めるようにして画面を見てた。
想像の中でその子が救われたって、意味がない。わたしが悦ぶだけなのに。ひどい。ほんとうにひどい。自分のために世界を、真実を歪めるな。



前を歩いていた2人組が狭い道の真ん中をゆったりと歩いていて、わたしはとても気配が薄いから、追い越したいなあと一応思ってはみたけど、ふたりがうしろを歩くわたしに気づくことはなかった。まあ急いでるわけじゃないんだし、いま聞いている曲名もわからんヒップホップに合わせて動かしていた足のテンポを緩めればいいだけだし、この商店街にはライブハウスがあって、それはやっぱりめちゃめちゃ浮いてて、夕方の散歩をしているミニチュア・ダックスフンドとその飼い主がケモミミの地下アイドル集団のそばを通りすぎる、全体的に白い衣装で、袖のフリルやスカートのウエスト部分がそれぞれのメンバーカラーで彩られていた。人通りも車通りも多いこの道をゆくにはあまりに小さすぎる命、ミニチュア・ダックスフンドは脚にばねでもついているのかと思っちゃうほど軽やかに何度も跳ねて、ケモミミの女の子たちに近づこうとリードを引っ張る。愛らしいケモミミアイドルたちは、それを微笑ましそうに眺めていて、飼い主はしきりに謝っていた。自分の子どもが他人に失礼なことをしてしまったときくらい謝っていた。「かわいい」「ちっちゃいね」天使の微笑みを浮かべながら口々に言いあう女の子たちの、いちばんうしろ、メンバーカラーが鮮やかな緑色の子だけは笑っていなかった。むしろ、わけのわからない、到底理解できないものを目の前にしているというような困惑と怯えをその瞳にたたえて、その微笑ましい夕方の光景を静観していた。犬にまつわるとんでもない思い出とか、トラウマがあるのかもしれない。

こういう、ひとりだけちがう世界にいるというか、薄い膜の中にいるような子ばかり目が行く。すこし透明になる子。見かけるたびに、どんなグループにも、こんな存在がひとりは絶対いるんだろうなと思う。いままでわたしが過ごしたあらゆる場所にいたんだろう。

そのときわたしはちゃんと気づけてたっけ。ひとりをひとりのままにしていなかったか?

大丈夫だったかな。いままでのわたしって、どういうふうにちゃんとやれてたんだ?


眠剤を飲みこんだあと、納豆ごはんをつくりはじめた。

力が入らず、血管を流れる血もさらさらで頼りない液体になってしまったかのよう、てろてろの滑りそうな指でかき混ぜる納豆はいつもよりはやく混ざる。電子レンジに冷凍ごはんをつっこみ、おまかせであたためスタートして、煙草を吸いながら待ってる、眠気と煙が溶けあって境界がぼやけていく。

なんにしろ、胃にごはんを入れると安心する。
適度な重さの身体で眠りたい。
空腹のまま眠ったら、軽くて浮いちゃいそう、ヘリウムガスの風船みたいに空に昇って、気づいたら見えないとこにいっちゃいそう。

猫がしゃけを食べている音が聴こえる。
この子は歯がないから、上顎と下顎ですりつぶすようにして食べる。頭部のほとんどを皿にうずめたまま、くにゃくにゃと時間をかけて咀嚼する。この音を聞いていると、わたしの頭のなかでやわらかな身がほどけていって、香ばしい脂の味が広がる。
ちぎれるしゃけの繊維。

でっかいでっかい、でもとても可愛らしい猫にわたしの身体が噛みつぶされるところを想像してみる。

わたしにはなんにもないから、おいしくないよ。おいしくないよ。おいしくないんだよ、わかって。


わー眠い。


ルクセンブルクに留学している友だちのことを考える

いまにも死にそうなほど心が弱っている友だちのことを考える

ほんとうはすごく好きなのにわたしのせいでもう会えなくなった人のことを考える

大好きな妹のことを考える、大好きな妹がいまこの瞬間どういう仕事をしているのか考える

なんでこうなっちゃったのか考える

なにがこうしちゃったのか考える

考える考える考える

考えるのに、考えてるのにわからなくなっていく。
ホワイトアウトは雪によって視界が奪われる気象現象で、わたしは眠剤によってあいまいになっていく頭の中に雪が降るところを思い浮かべる。
まっしろになる、まっしろになる。
言葉をくりかえし重ねるのが好きだ、重ねれば、重ねるほど、ほんとになっていく気がして、リフレイン、リフレインリフレインリフレイン。


眠剤を飲んだあとはすぐに寝なきゃだめだよって、教えてくれたのはすごく大事な友だちだった。のにわたしは、わたしはわたしはわたしはわたしは


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