猫野たまの短歌

 とりあえず、私が一番好きな短歌についての、整理のされていないオタク語りを。複数の歌について書こうかと思ったのですが、思いのほか分量が多くなったのでとりあえず一つ。

砂浜の傾斜は海へかえりたいわれらのこころ、春を踏みゆく

 私が一番好きな歌です。海は生命の源であり母であり、「われらのかえる」ところです。砂浜の傾斜とその帰りたい気持ちを結びつける着眼点がほんとすごいです、ヤバい。帰りたいのはなぜでしょうか、作者は人間社会に疲れたのでしょうか。いや、「われら」となっているので人間社会が疲れているのでしょうか。5757は哀愁が感じられます。
 そして最後の7冒頭では「春」が出てきます。踏まれてはいるのですが、秋などではなく、暖かい、生命の誕生のイメージのある春が選択されています。海、春。「春の海」という楽曲があります。「春の海しゅうじつのたりのたりかな」という歌もあります。季節のイメージに違わず、春の海はやわらかいポカポカした印象をもたらしてくれます。
 全体として哀愁とあたたかさが同居した優しい歌になっています、この雰囲気が大好きなんですよね。
 情景描写が巧みなのもすごいんです。最後は「春を踏みゆく」ですが、何が踏まれているか言及されていません。私は想像力が乏しいので、桜など薄ピンクの花びらが一面を覆っている砂浜がイメージできました。もしかしたら花びらに見える貝殻かもしれません。足は裸足でしょうね、これはほぼ確実に。難しい言葉は使わずに、素朴な言葉で見たこともない、まるで夢のような色の情景を描く、私にはできません。これで色塗りしてねと12色のクレパスを渡されて、自分はありきたりな塗り絵しかできないのに、まるで想像もできなかった色の置き方をして素晴らしい色塗りをする人を見ている感覚になります。
 漢字とかなの選択もすごいですね。わざわざひらがなで書かれているのは「かえりたい」「われら」「こころ」「ゆく」です。「かえりたい」「われら」の「こころ」とその行動(「ゆく」)がひらがなで、傷つきやすい柔らかな心が感じられます。帰るべき「海」は漢字ですが、対比や海のイメージしやすさからひらがなよりも漢字のほうがよいと判断されたのでしょうか。あるいは、帰りたいけれども、そんな「われら」が思っているよりも厳しいということでしょうか。また、「踏み」も行動なのに漢字なのは、やはり暖かな「春」を踏んでしまっているからなのでしょうか。読点については、正直力量不足でどういう意図かがわからないのですが、私は、ここで一息つくリズムの方が好きです。頑張って考えると、ためらいでしょうか?途切れていますよね。もしかしたら、海へは向かってないのかもしれません。……難しい。
 とりあえず書けるのはこれだけです。たまさんの歌は着眼点との言葉の置き方が真似できなくて、夢のような哀愁とあたたかさが同居するような空気感も大好きです。

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