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マオマウゥルーンの樹(作:ぱやちの)

ママンの樹

マオマウゥルーンの樹

色の無いとびらの向こうに
マオマウゥルーンの樹は暮らしています
私はその樹について
親しみを込めて、「ママンの樹」と呼ぶことにしています

ママンの樹は
私が存在を知るずっと前から、その場所にいました
その場所の名前は、マオマウゥルーン
ママンの樹は
誰も立ち入ることのできない場所で
たくさんの〈ママ〉と共に
ずっとずっと昔から、暮らしています

ママンの樹は、新しい〈ママ〉を生みます
毎日たくさん生みます
全ての〈ママ〉は、ママンの樹によって生み落とされます
ママンの樹は、〈ママ〉を生むことでその命を保っています
そして、〈ママ〉を生むこと以外、何もしません
ママンの樹は、死んで地面に溶けた〈ママ〉を栄養にして
また次の〈ママ〉を生みます
そのようにして、何年も何年も、ずっと静かに暮らしています

世の中には
名前やかたちを変えながら死ぬまでの時間を過ごす生き物もいます
一方で、ママンの樹から生まれる〈ママ〉という生き物は
生まれてから死ぬまで、ずっと〈ママ〉のままです
名前も、かたちも、生まれた時から変わることはありません

生まれてくる〈ママ〉は、白く、細長いかたちをしています
やわらかく、とてもいいにおいがします
地面に根を張り、やさしい風に揺れることが大好きです
何も食べません
だいたい100年くらいで死にます

生まれたい〈ママ〉はいません
そして同じように
生まれたくない〈ママ〉もいません

ゆっくりと回る風車のように
ママンの樹は生み
〈ママ〉は生まれ、死に
またママンの樹に還り
生み、死に、還り
穏やかにただ、繰り返します
繰り返していたのです
あの日までは

あの日、というのは
私が生まれるずっとずっと昔
私はあの日、そしてそれからのことを
他でもない、ママンの樹から聞きました
私がマオマウゥルーンへ行ったわけではありません
マオマウゥルーンへは、誰も立ち入ることができないのです
私が、そうとは知らず拾って大切にしていた石
(実際は、〈ママ〉の心臓にあたるものでした)
(磨くと、柘榴石のような色をして、美しく光りました)
それを通して、私に聞かせてくれました
ママンの樹は、〈ママ〉を通して世界を見ていたのです
あの悲しい出来事について
ママンの樹は心を痛めていました
そして私も、大変悲しかった
ママンの樹が私に話してくれたのは、次のようなことです
ママンの樹は、不変を何よりも愛していましたから、
あの日、不本意な役割を与えられてしまった〈ママ〉について
本当のことを、ただ知っていて欲しかったということでした
そしてできることなら
〈ママ〉について間違って理解をしている人々に
本当のことを、伝えてほしいということでした

あの日
これまでにない強風がマオマウゥルーンに吹き荒れました
〈ママ〉たちは、精一杯地面に根を張りましたが
可哀想に、何匹かの〈ママ〉は既に寿命が近かったのでしょう
根を張る力が他の個体よりも弱く
こちら側の世界へ吹き飛ばされてしまいました
色の無いとびらを抜けて

こちら側の世界には
私を含む「テンニ」という生き物が暮らしています
テンニはとても仲間思いな生き物で
仲間を脅かすものを許しません

マオマウゥルーンに強風が吹き荒れる少し前
こちら側の世界でも同じように
強い嵐が続いていました
そしてその嵐によって
テンニは絶滅の危機を迎えていました
科学者たちは知識の限りを尽くし
神職たちは祈りの限りを尽くしました
目の前で次々と息絶える仲間を見て
発狂して死んでしまうテンニも数多くいました
仲間思いのテンニは
悪夢のような嵐の日々の終わりを
願う力すら、失いつつありました

ああしかし
願いの塊は、届いてしまいました
願いはいつだって先着順です
テンニたちの願いは、数々の他の願いを差し置いて
神様のところまで、力強く昇っていきました
そうして、マオマウゥルーンの色の無いとびらは
こじ開けられてしまったのです
神様は
〈ママ〉がテンニたちに、どのような幸いをもたらすのか
よく知っていたのです

吹き飛ばされてしまった数匹の〈ママ〉は
不幸なことに
優秀な科学者の大きな家の大きな窓に
ぼた、ぼた、ぼた、と
鈍い音を立ててぶつかり
そのベランダに落ちました
もし、あの時〈ママ〉が
海にでも落ちることができていたなら
あんなに冒涜的な呼び方をされることもなかったというのに
犠牲になる〈ママ〉が増えることもなかったというのに

窓の外を見守りながら、悪夢の終息を願っていた科学者は
見たことのない物体の来訪に驚きましたが
傍にいた妻が(妻は、もう半分狂いはじめていました)
「ああ! なんて美しい姿の生き物なんでしょう」
とうっとり言うものですから、
どうやら生き物らしいと思いはじめて、
吹き荒れる嵐の中、決死の思いで窓を開け
ベランダのその物体を抱えて戻りました
端正なリビングルームはその一瞬で荒れ果て
橙色の絨毯の上にその物体、
私たちのよく知る〈ママ〉は落とされました
科学者の妻は怖がる様子もなく
はじめて見るその物体を抱き上げ
「あたたかくて、やわらかいわ。それに、いいにおいがする」
と、全ての心配事から解放されたように微笑みました
科学者は一匹を妻に抱かせたまま
残りの数匹を研究室へ連れていき
その正体を寝る間も惜しんで調べました
妻はその間、その美しい生き物を大切に抱きながら過ごしました

数日後、妻の叫び声を聞き
科学者は寝室へと駆け付けました
「目が覚めたら、こうなってしまっていたの。もう、戻らないの」
サイドテーブルに置かれていたあの物体は、溶けてしまったのだろうか、
すっかり消えてしまい、半透明の液体が床に零れ落ちていました
「何も食べなかったの。きっと栄養が足りなくて、死んでしまったんだわ」
妻はしくしく泣き続け、泣き疲れて再び眠りました
科学者は半透明の液体を掬い取り、再び研究室へ戻りました

研究室に連れていかれた〈ママ〉も、何も食べようとしませんでした
生き物であるならば、何か栄養をとらなければいずれ死んでしまいます
科学者は焦っていました
寝室から持ち帰った液体を研究室の〈ママ〉の傍に置き
科学者は再び研究を進めました
数時間後、休憩のために科学者が席を立つと
数匹の〈ママ〉が、液体に向かって体を曲げていました
科学者は驚き
一匹の〈ママ〉にその液体を垂らしてみました
液体は静かに、〈ママ〉の体に吸収されました
液体を吸収した〈ママ〉を、科学者は〈A〉と呼びました
科学者は液体を〈A〉に与え続けました
〈A〉は少しずつ大きくなっていきました
液体を与えられなかったものたちは
妻が可愛がった物体と同じように
数日後に死んで、液体になりました
液体は全て科学者によって保存され
〈A〉の餌として、与えられ続けました

液体が底を突く頃
〈A〉は標準的なテンニの大きさの倍近く大きくなり
研究室の天井まで届く勢いでした
かたちも、ベランダに落ちてきた時とは大きく変わり
細長い胴体の先に球体が乗っかったような
そしてその球体の表面にいくつか穴があいたような
そんなかたちになっていました

科学者の家庭は
他のテンニの家庭よりも食料の蓄えがありましたが
それでも終わらない嵐の日々に
少しずつ少しずつ生活が難しくなっていきました
愛らしい生き物を失った妻は
あの日から泣いてばかりいて
疲れ果て、ついに病気になってしまいました
科学者の家庭にはもう、食べ物も薬も
ほとんど残されていませんでした
このままでは、科学者も、妻も、他のテンニたちのように
嵐の中、静かに死んでいくしかありません

万策尽きた、と項垂れる科学者の頭に
ぼた、ぼた、ぼた、と
突然やわらかいものが降ってきました
見上げると
〈A〉が、たくさんの白い物体を吐き出しています
あの日、ベランダに落ちてきた
やわらかく、いいにおいのする、あたたかい生き物です
生んだのか、と科学者は思いました
そして、科学者はその生き物を
〈A〉からの贈り物のように思いました
科学者の妻が死んでしまったのは
〈A〉からの贈り物が届く、数日前のことでした

科学者は、妻を心から愛していたので
妻が死んでしまってから
誰にも、科学者自身にも気が付かれないまま
少しずつ狂ったようになっていました
それでも自分がもうじき死ぬだろうということだけは
分かっていました

科学者は、〈A〉からの贈り物を
自分が死んでしまうまえに、せめていただこうと
よろよろしながらキッチンへ向かい
数匹の〈ママ〉を大きな鍋で煮込みました
〈ママ〉が溶けて消えることはなく、
かたちも変わりませんでしたが
なんらかの成分が溶出したのでしょうか
やさしい、ミルク粥のような
いいにおいのするスープができました
スープから〈ママ〉を取り出し
食べやすい大きさに切りました
新鮮なチーズを切るような感触でした
〈ママ〉の中身はどこを切っても表面と同じ色でしたが
中心のあたりにかざぐるまの羽根のような並びで
赤色の小さな小さな種のようなものが入っていました
その種の部分だけ、今までかいだことのない
不快な、恐ろしいようなにおいがしたので
そこは避けて、器に盛りつけました
最後に残っていた、青魚の缶詰と一緒に

ああ!
なんてあたたかい味がするのでしょうか
科学者は、久しく感じていなかった幸福を
おいしさに包まれながら噛み締め
しみ、しみ、金色なこうふくが
全身を照らすような心地がして
全ての細胞が伸びをするように
気持ちよく動き出し
ぼろぼろ涙を零しながら
夢中で食べました
夢中で夢中で、食べました

動かなくなってしまった妻にも
食べさせてやろうと
科学者は死にかけていたのが嘘のように
ものすごい勢いで立ち上がり
スープを口に運んでやりました
スープがゆっくりと妻の口内を潤すと
薄黒くかわってしまった妻の顔が
気のせいか、少しだけ元のやわらかな色に
戻っていくようでした
科学者はそれを見て安心したように
妻のベッドの脇で眠りに落ちました

朝が来たのでしょうか
どれくらいの間、太陽の光を見ていなかったのか
もう覚えていないほど、嵐は続いていました
その日、科学者は
「朝よ、朝よ」という妻の声と
あたたかな日差しで目を覚ましました
妻が生きている!

「変なのよ、」
ずうっと苦しかったのがやっと止んだかと思ったら
突然身体があたたかく浮いたようになって
おひさまの光で目が覚めたのよ、と科学者の妻は
すっかり元気な表情で言いました
科学者は信じられないというような心地で
しかしそれ以上に嬉しくてありがたくて
妻の手をしっかりと握り、その生を受け入れました

明るい朝が来たとはいえ
家の外は想像以上に荒れ果てており
小さな家のほとんどは倒壊し
蓄えのなかったテンニたちは餓死していました
悪夢はたくさんのものを奪い去りました
科学者は、元の幸せな世界を取り戻す使命を覚えました
〈A〉からの贈り物によって
科学者も、科学者の妻も
不思議と全能感に包まれ、力が漲っていたのです
「わたしたち、きっとできるわ」
妻の言葉で科学者は決意し、再び研究に戻りました

科学者の研究によって、〈A〉が生む個体には
凄まじいエネルギーがあることが分かりました
科学者は、〈A〉が生んだ個体からたくさんのスープを作り
自身や妻にそうしたように
死んでしまった仲間たちや、家畜に飲ませました
嵐によって体に欠損のできてしまったものたちは
スープでも元に戻ることはありませんでした
しかし、体がそっくり残っているものは
余さず生き返りました
そして皆、あの日の妻と同じように
「突然身体があたたかく、浮いたようになった」
と口を揃えました
きっと、〈A〉からの贈り物が皆を助けてくれたのでしょう

田畑が元通りになるまで足りない食料は
家畜の働きと〈A〉の生んだ個体で賄いました
そうしているうちに〈A〉はもう何も生まなくなりました
科学者は、〈A〉を育てる時にそうしたように
あの液体を与えようとしましたが
生まれた個体は、傷つけても傷つけても
あの時のように、液体になることはありませんでした
あの液体以外には何も食べることのできない〈A〉は
じきに萎れたようになり
胴体をぐんにゃり曲げ
球体にあいていたいくつもの穴を全て塞ぎ
死にました

寿命で死んだ〈ママ〉以外は、液体にならない!
マオマウゥルーンにおいて
〈ママ〉は寿命以外で死ぬことがありません
〈ママ〉は、生まれ、寿命がくるまで静かに生き、
寿命がくればママンの樹に還り、また生まれるだけの存在なのです
ママンの樹に還るその時まで、かたちを変えるわけがありません
必要がないからです
テンニは、知らなかったのです
ああ、私がもしこの時代に生まれていたら
そして、〈ママ〉に気が付くことができていたら……
〈ママ〉が無益に傷つけられることはなかったかもしれないのに
〈A〉などと呼ばれた〈ママ〉を、救うことができたかもしれないのに

科学者は自身の命がつきるまで、
〈A〉の存在を他のテンニたちに伝えることはしませんでした
後に研究室を訪れた科学者の友人のテンニによると
大きな真っ白い樹のようなものの横で科学者のテンニは死んでおり
樹の周りにはたくさんの花と、
穴だらけの不思議な置物が飾られて(?)いたそうです
そして、樹には
テンニ語で「生み出すもの」を意味する言葉が彫られたプレートが
ネックレスのように巻き付けられていたそうです
科学者は、〈A〉のことを、妻と同じくらいに愛していたのかもしれません
そして、〈A〉から生まれてくるものたちのことも

そしてこれは、今となってはママンの樹と、私だけが知っていること
科学者は、数匹の〈ママ〉を研究室に隠し持っていたのです
食料として全ての〈ママ〉を供給し尽くしてしまうことが悲しかったのでしょう

科学者がテンニたちにスープを振る舞ってから数か月が経ち
こちら側の世界では
少しずつこれまで通りの生活がおくれるようになっていました
〈ママ〉以外の食料で十分暮らしていけるようになっていたのです
そこで、科学者は「あの食べ物は、もう底を突きました」と発表し
これからは、以前のようにテンニ同士で助け合い
元の暮らしをやりましょう、とテンニたちに伝えました
他のテンニたちもそれに賛同し
一度は失った命を助けてくれた科学者と
あの食べ物に、感謝を捧げました
科学者は安心しました
研究室で、残りの〈ママ〉を妻とともに
死ぬまで可愛がりました

死ぬまで、というのも
科学者とその妻は、実は、あの友人が訪れる数日前に
悪いテンニによって殺されていたのです
仲間思いのテンニに、そんな悪いものが紛れているだなんて
誰が思うでしょうか
しかし、幸福というのは時に何者をも狂わせてしまうものです
〈ママ〉の味がどうしても忘れられない一匹のテンニが
科学者の家に忍び込み、まずは科学者とその妻を殺害しました
その後、ゆっくりと家中を物色し、あの研究室を見つけました
〈A〉のいる研究室です
そしてその場所で、数匹の〈ママ〉を見つけ
あろうことか、全て独り占めして食べてしまったのです!
夢中で丸ごと食べてしまったので、
科学者が注意していたあの赤い種のようなものに気が付くはずもなく
卑しいテンニは、全身を穴だらけに変形させて
死んでしまいました
あの赤い種は、そういう(テンニにとっての)毒があったようです

ああ、それでも
卑しいテンニには、感謝をしなければならないのかもしれません
科学者が死んでしまっても、テンニよりも寿命の長い〈ママ〉は
卑しいテンニに見つからなければ
研究室で静かに生きていくことができたのです
そして、寿命を迎え、〈A〉の元で死に、液体になれば
また〈A〉は、それを栄養に〈ママ〉を生むことになってしまいます
〈A〉は本来、「生むもの」ではありません
生まれる、生まれるだけの存在、〈ママ〉なのです
〈A〉が「生み出すもの」として存在し続け
〈ママ〉から生まれてしまう〈ママ〉が増え
やさしい風の吹くこともない薄暗い研究室で
マオマウゥルーンの真似事が行われるのかと思うと
私はもう、気が狂ってしまいそうになります
そんなことは、あってはならないのです

ああ!
〈ママ〉は決して
「生み出すもの」ではなかったというのに
テンニの世界に落ちた〈ママ〉
そして、テンニの世界で〈ママ〉から生まれた〈ママ〉
〈ママ〉を生んでしまった〈ママ〉……
可哀想に、どこにも戻ることができず
もう二度と、風に揺れることもできません

マオマウゥルーンでは、もう二度と還らない〈ママ〉を想いながら
ママンの樹が、今日も静かに〈ママ〉を生み続けています
私がどんなに説明しようとも
テンニたちは、仲間思いな生き物です
仲間ではない生き物に対して、全く関心がありません
本当のことをいくら伝えようとも
皆いつだって、上の空です
私のことを病気だと思い、励ましてくる者もあります
私は決して、病気ではありません
私はもう、テンニではなくなりつつあるのかもしれません
この美しい〈ママ〉の心臓を見るたびに
ママンの樹の寂しそうな声が何度も何度も呼び起こされます
だから私だけは、せめて、あの〈A〉と呼ばれた、
「生み出すもの」と呼ばれた個体のことを
〈ママ〉と、切実に
呼び続けようと思います


作:ぱやちの
作詞、楽曲制作、イラスト制作等、インターネットを中心に楽しく活動中。丸いかたちが好き。お仕事のご依頼お待ちしております。


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