成長するということ、別れ/秒(作:星屑)

 「君に出会えたのが大人になってからでよかった。目まぐるしく成長してしまう子どもだった頃じゃなくてよかった」

 たとえば小さい頃に居た好きな人って、今となっては何が好きだったのかわからない。互いのスピードがめまぐるしいから一瞬しか重なることのできなかった星たちが遠くで死んでゆく。
 
〈大人になった人から先に、誰かを長く好きでいられるのかもしれない〉
 

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5才くらいの頃「おかあさんって昔からおかあさんだったの?」と聞いたことがある。子どもからするとお母さんという存在はまぎれもなくお母さんで、それはこの先も絶対に揺らぐことのない当たり前の存在だった。(でも実際にはお母さんにもお母さんじゃなかった頃があるし、その記憶も地続きにある)

 神聖かまってちゃんの「ズッ友」という曲の歌詞に「ママに言えないことができてく」という一部分があって、それが妙に鮮明に聴こえる。私たちはいつしかママの目を盗むようになり、そうやって子どもの皮を脱いで脱いで大人になろうとする。神様はどこかへ行ったきり。不在、不在、不在、私はずっと留守番をしていた、誰にも見張られることのない自由な部屋の中でーー。

 成人の日に、ジュエリーを母親からもらうという風習がある(地域によるのかもしれないけれど)。誰かにジュエリーをプレゼントするという行為、ジュエリーを身につけるという行為には無意識のうちに多くの意味が込められている。決して華やかさとか、存在感とか、そういった飾りとしての役割だけではないように思う。
お母さんからもらった高価なジュエリーを身につけていると、大切にしなきゃ(壊したらヤバい)と思うし、そう思っていると自然と動きが慎重になって、所作が丁寧になる。どこかにチェーンが引っかかりでもして千切れたら大変だから(私のこと押し倒さないで、「明日早いし帰らなきゃ」)。

 母が娘を心配して「ズボンを履きなさい」とか「早く帰ってきなさい」とか言うよりも、たった一つジュエリーを身につけさせるほうがよっぽどお守りになる(10回言われるより1回の行動ってこういうことなんだろうな)。それは恋人にも言えることで、監視や詮索をされるよりも「恋人からもらった大切なものを身につけている自分を大切にしよう」という意識が予防線になったりするし、身を守ることもある。

(子どもの皮を脱いで脱いで脱いだ先でジュエリーを身につけると、もう何ひとつ脱げなくなる)

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 子どもは毎秒成長して変わりゆく。泣いていた赤ん坊の面影はすっかり遠ざかり、別の生き物に変身したかのように大人びてゆく(そして赤ん坊の頃を記憶すらしていない)。
お母さんはだんだんお母さんを習得してお母さんになっていくけれど、それに反比例するなかのように子どもはだんだん子どもではなくなる、親離れする、子どもはひとり立ちして、お母さんはまたいつかひとりに戻る、そんなふうに口うるさく寂しい生き物をやっている。お母さんと子ども、という関係で出会っていなかったらどうだったのかな。たとえば逆の立場だったり、クラスメイトとかだったら。

「子育てって、毎秒が別れなんですね。でもお母さんは、まぎれもなく永遠です」


作:星屑
ミスiD 2022「ことのは賞」。庁省支援舞台公演の制作協力、海外楽曲の訳詞や日本語作詞、個展のテーマ詩の提供、エッセイ他寄稿。よくTwitterに居ます。

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