カンピドリオの丘で(作:上篠翔)

 結婚しようよ、もう結婚するからぁぁぁぁ、と泣いたり叫んだりしたのは、国道246号線の歩道橋の下だった。ときどき石みたいになって動かなくなるきみに、とうとうぼくは業を煮やしてしまったのだ。かといって、直接きみを殴ったり、蹴ったりすることはない。昔のドラマみたいに物にあたることもない。でも、このときばかりはちょっと頭がおかしくなっていたみたいで、どこかへ走り去ったきみの幻が眼前にくっきりと見えて、ぼくは「死ね、死ね、死ね、死ね、」と繰り返しながらビニール傘を振り回していた。
 もう結婚するから。だから、だから、
 ぼくはこの言葉の暴力性をしっかりと認識して、きみにそれを放った。これは、ぼくから一生いなくならないで、という抽象的で不可能な祈りを、結婚という社会的な制度で縛り付けようとする言葉だった。死ね死ね死ね死ねはきみきみきみきみじゃなくてぼくぼくぼくぼく。カッターで腕を切って眠剤飲んで花だった。どうせ辿り着く同じアパートの同じ部屋にきみは帰ってきていて、その日はしゃべらないでねむったし、ねむっているきみにくっついてぼくは自慰した、ひどくぼうりょくてきなポルノ動画をみながら。

 白状すると、ぼくにとってのきみは、決してきみだけではない。関係が終わりそうになるとき、いつでもぼくは窮鼠猫を噛むように「もう結婚するから、絶対するから」と言い放った。(だからいなくならないで)という感情は透明にされて。

 馬鹿じゃないのかな。結婚するからとかそういうんじゃなく、波動っていうのかな、磁力でもいいな、とにかくそういう情念引力みたいなものでぼくたちは愛し、愛され合わなくてはいけないのに、結婚なんて。客観的に「誰も触れない二人だけの国」を担保する結婚を持ち出して、ずっとずっとずっとずっと一緒にいようね、なんて言うのって、要するにそういうものを持ち出さないまま愛し合うだけの力量も感情の総量もぼくにはないってことの、告白だよね。

 きみの処方されている睡眠導入剤をカッターナイフで切ってみて砕いてみて、みてみてスニッフ、スニッフって鼻から吸引する、合法のコカインみたいなふりして。PS4のコントローラーから伸びたイヤホンを二人して分け合って見た『愛のむきだし』には真っ白な宗教施設が。白いからきっと燃やしたら炎できれい。

 愛と恋と色って何が違うんですかね。喧嘩して喧嘩して喧嘩ってほど華もないような陰湿な、自殺幇助みたいな言葉をかけあったあとにしてしまった性行為に、きみは「こういうのってかなしいでしょう」といった。星降る夜。真砂なす。夜に、

 整理整頓しようとするのがいちばんの暴力。こうしてぐるぐると解釈して世界のなかにきちんとぼくときみを置こうとする。それが何よりの裏切りで、はじめての日に膨らませた避妊具のバレーボール。どこにいれたらいいのかな、どこにいれたらよかったのかな。甘い言語遊戯。その日Twitterで見た滝のように溢れる手首からの血。

 ほんとうはぼくとぼくが結婚したかった。

 きみはときどき魚のように泳いだ。

 ぼくは烏賊を釣った。青い光だった。

 ジューンブライドのジューンとはローマ神話のユノーのことで、子供を喰い散らかした殺戮者サトゥルヌスの娘であり、戦争の神であるマルスの母親だ。結婚は、殺戮と殺戮の小休止。血の波間。結婚しようよ、結婚しようよ、っていう祈りは、じゃあ実際は殺しあおうね、ってことなのかも。あおう、あおう。双方向で相互的で過干渉で共依存的な。
 ユノーは神殿に祀られている。ユノー、ユノー、ユノー、ユノー。その神殿は白いのか、青いのか、赤いのか。

 DAISOできみはねむっていた。こころをゆるやかな風が吹いていく薬を飲んで。きみの寝顔は、きみの寝顔は安らかで、ああ、時よ止まれと呟く。それは言ってはいけない言葉で、空からは天使がやってくる。だからきみは奪われた。婚姻には昏と烟が潜んでいる。きみは燃えて、炎になって、煙になって、夕焼けになって、それから。

 そうねえ、あたしたちが出会ったのは夕方の川だったわ。かれの流された釣竿をあたしがひろって、それからあたしたちは電話するともだちになった。なかなかあえないのがよかったんだろうねえ。まいばんまいばんかれと電話するのがあたしのたのしみだった。まだけいたいでんわなんてなかったから、固定電話でなんどもなんどもはなしたわ。かれのつくる料理のなかでは、そっけない煮込みがすきだった。ふたりいっしょになったら、孔雀をかうやくそくもした。やきゅうもうまかったのよ。地元ではゆうめいなピッチャーでね、あなたのなまえも、ゆうめいなやきゅう選手からつけられたの。だからひつぎにもユニホームがはいっているのよ。あたしがしんだら、そうね、このおてだまとライラックをいれてほしいねえ。

 感傷と感光のこれはテクスチャーあるいはメタファー ほんとをいって


作:上篠翔
玲瓏所属。粘菌歌会主宰。二〇一八年、第二回石井僚一短歌賞受賞。二〇二一年、『エモーショナルきりん大全』(書肆侃侃房)刊行。インターネットをやっています。

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