自分の話(作:坂口喜咲)

4月末、コロナに罹った。一度も罹らずここまで来ていたのだが、症状の重さには驚いた。9日目 にしてだいぶましになってきたので、締切間近、なんとかやっとこさ書いてみる。(現在4/28)


コロナ陽性だと言ったら、心配性の母がネットスーパーでたくさん注文して送ってくれた。何も食べられないと言ったので、すべて水とポカリとお茶だった。水分ばかり約40リットル!吐き気がすごく、水を一口飲むのも難しい時期で、これはすごい、と思いながらよぼよぼと玄関で運んだ。これで夏も越えられそうです、ありがとう。


父方の祖母(94歳くらい)が「何歳になってもね、それでもやっぱり自分の子供はかわいいの」 と言っていたことがある。それが90過ぎてもだというのは、すごいことだと思う。


勿論そうじゃない場合もめちゃめちゃたくさんあることはわかっている。でもなんとなく漠然と、わかるような気がする。そういうことに、年齢は関係ないんだろうな。


全然話が違うけど、先日、顔周りレイヤーカットというやつを自分で入れたら失敗した。美容専 門学校に行っていた時、レイヤーカットのテストで学年最下位を取ったことがある。私は昔から割と優等生だったので、そういうことは初めてでかなり落ち込んだ。

そもそも最初から音楽をやることしか考えていなかったから仕方ないのだけど、何回か朝練くらいはしていたので、本当に向いてないんだなあ、と思った。


専門学校に行くのが辛くて身体にも目に見えて不調が出ていた時、はじめて学校が辛いと母に伝えると、母は「辞めちゃえば?やめちゃえやめちゃえ」と小さな声でおどけて言ってくれた。


当時の私には学校を辞めるという選択肢が1ミリもなくて、学校はどんなに辛くても行かなくちゃいけないものだと思っていたので、衝撃だった。


やめてもよかったんだね。そんな風に道を外れてもよかったんだ。翌日、速攻辞めると先生に伝え、すっきりして、ひとり中野サンプラザの前でアジフライを食べた記憶がある。クソガキだったので、ロックンロール!て気分だった。実家暮らし、親の金で入学しといて。


そこからはなんだかんだずっと好きな歌を作って歌って生活しているので、なんか本望だなあと思う。音楽は仕事だと思ってやってない。音楽活動は仕事なんだけど。


まとまりのない文だが、毎回思い付きで書く、くらいが自分らしくていいのかなと思う。毎回バラバラでもいいや。気楽にやるのがここ最近の私のテーマだから。


これが公開されるのは母の日。母の日とか父の日とか、もういい加減なくなってもいいと思う。 親のいない子供が、今も強制的に似顔絵とか描かされてるのかな、と思うと胸が痛む。


家族の日とか、感謝の日とか、仲良しの日、に変わったらいいのになあ、と、毎年なんとなく思っている。


坂口喜咲
歌手 / シンガーソングライター
東京都出身。
2015年バンドHAPPY BIRTHDAY解散後より、ソロで音楽活動を行う。ギター弾き語りやバンドでのライブ活動の他、楽曲提供やチェコアニメのナレーション、絵日記、YouTubeラジオなど、自由に楽しく活動中。ハッピーエンジェル。
https://lit.link/SakaguchiKisa


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