stargazer(作:上篠翔)

 小学校の校庭の中心には、天体望遠鏡。夜に家の外に出ることすら珍しかったのに、その日は大勢の子供が校庭に集まって夜空を眺めている。目的は土星の輪を見ることだった。教師ではない、何の職業なのかわからない老人がその場を取り仕切り、一人ずつ順番に望遠鏡を覗かせていた。
 
 星を見るのが好きだった。
 ベランダに出て眺める牡牛座のプレアデス星団。門限を過ぎて締め出された日のペガスス座。水死の悲劇とともにあるうお座。シリウス、ベガ、アルタイル、夜空を景色にする一等星。おさない頃の興味はもっぱら石に向かっていて、糸魚川で手に入れた翡翠の原石を、引き出しにしまい込んでいた。ときおり取り出して、つるつるとしたその表面をなでる。緑色の鉱石は、どこか死を、厳密にいえば死の世界を連想させた。緑といえば柔らかさ、軽さ、というのが木々に囲まれて育ったぼくの認識で、硬い自然物なのに緑、という翡翠は、死蝋という現象をまったく知らない当時でも、身近な幻想譚のひとつであった。
 そこから天体に興味をもつのは、一直線だったといえる。自分の身体が憎くて、そのまま人間関係にも腥い動物にも忌避感を抱いていたぼくにとって、暗い距離の果てにただ炎えている恒星は、綺麗なだけの、神秘なだけの、このぼくの対義語みたいな存在であった。
 天体図鑑や星座表を肌身離さず抱えて、祖父の双眼鏡を片手に毎晩毎晩飽きることなく星を見ていた。小学校で見た土星の輪に、ぼくは素直に感動した。それからずっと、ぼくはこの天体の空気の薄さのようなものに取り憑かれている気がする。「土星の輪っかで輪投げして」と歌う猫のポケモンも、「夏の草原に銀河は高く歌う」と歌う合唱曲も、「本当に届く訳ない光 でも消えてくれない光」と歌うバンドも、「いつか僕が星になって」と歌うバンドも、天体への憧憬というひとつの感情によって貫かれている。もっといえばぼくがアイドルに救われるのも、神学やプラトンの哲学を好きなのも、すべてはこの届かない場所で光っている炎への、憧れに由来しているのかもしれない。

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 このなかのひとつが正解の、たったひとつの画像へ続くリンクになっています。そこから次々、次々に辿っていくと、やがて本物の正解にたどり着くことができます。ボーマン船長を知っていますか。宇宙まで旅に出たオデュッセウス。デイジー、デイジーとうたう哀れなコンピューターを殺害した、憎むべき犯罪者。こわれかけの機械が、花の名をうたう。あなたは死に瀕したとき、何の花の名前をつぶやきますか。それでは、お好きな☆をクリックしてください。はじめは緑、次は赤、最後には青。それが本物の正解への、唯一の道筋となっています。スクリーンがその色に光るよう、あなたは☆を辿ってください。世界の終わりは青いことを知っていますか。遠ざかる星は赤方偏移によって赤く見えますが、近づく星は青く見えるのです。収縮する宇宙の中心であるあなたの視界は、やがて真っ青な光に襲われます。そんなとき、あなたは何の花の名前をつぶやきますか。

 数に囚われ、数に狂ったピタゴラス教団は、地球の反対側に対地球を設定した。対地球は太陽を挟んで、常に地球の対岸にあるので、決して視認することはできない。その対地球には、あなたと真逆の人間が住んでいる。真逆といっても、頭が肛門に、肛門が頭に、というようなかたちの話ではない。はっきりいって見た目での違いはまったくない。ただ、こちらのあなたが悪魔なら、あちらのあなたは天使であるのだ。こちらのあなたが死に囚われているとき、あちらのあなたは幸福そのものを甘受する。こちらのあなたが恋に落ちたとき、あちらのあなたは怒りへ飛翔する。あちらのあなたは、決してこちらのあなたと重なることはない。でも、こちらのあなたが死んだとき、あちらのあなたも死ぬ。この世界から、あの世界から、完全に消失する。それだけがいっしょで、地球にあなたという喪失の形を残す。つまりは何も残らないということだし、何もかもが残るということだ。もうひとつ、こちらの地球は赤いけれど、あちらの地球は青い。まるで終わりのような青さだ。

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 あちらに見えますのは、セントエルモの火。船の帆先が青く発光する現象です。二つ光ったら、カストルとポルックスと呼ぶこともあります。冬の星座である双子座の、仲良く並ぶ双子の星の名前です。わたくしどもは、あの火が多く見えたとき、デルフィニウムと呼んでいます。デルフィニウムには毒があり、遠ざかるあの船にぴったりのネーミングであるといえましょう。あちらの船には、もうひとつの地球のあなたが搭乗しています。あなたは大きく手を振り、さようなら、ということしかできません。ああ、しかしそのさようならは、あちらのあなたにはひとつの花の名前に聞こえることでしょう。
 あちらのあなたは、やがてあなたの影になるのです。あなたの足の裏は、あちらのあなたの足の裏とぴったりくっついて、ひとつのあなたそのものになります。それでは、大きな声で叫びましょう。さようなら、さようなら、さようなら。

  突き詰めれば恋も怒りも透きとおり対蹠人には硝子の夏を


作:上篠翔
玲瓏所属。粘菌歌会主宰。二〇一八年、第二回石井僚一短歌賞受賞。二〇二一年、『エモーショナルきりん大全』(書肆侃侃房)刊行。インターネットをやっています。

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