1991年、母の恋(作:中村瑞季)

 今回執筆の依頼をいただいた際、そのテーマには正直戸惑いを覚えた。「お母さん」という言葉にはどうしても苦手意識がある。
 僕の母親はいわゆる過保護・過干渉タイプで、なおかつ攻撃的な人だった。何事にも否定から入る人で、そのせいか本人も人間関係が上手くいかずいつも職場のコミュニケーションに苦戦し、それを僕にぶつけていた。実家が理由で鬱病を発症し、それから逃れるように大学卒業時の進路として地元の北海道を出て関東への就職が決まった際には、母は「今まで愛してやった恩を仇で返しやがって。鬱病ですって顔して逃げてばかりのお前はどうせすぐにダメになる」と言い放ち、その時もうこの人と分かりあうことは無いのだろうと感じた記憶が今でも鮮明にある。

 そんな分かり合えない母について文章を書くことのハードルはやはり高いものの、しかし僕の勝手な気持ちとしてはただ母との暗いエピソードを書いて終わるということもしたくはない。しばらくぼんやりと考えているうちに、ひとつ書きたい事柄についてふと思い浮かんだ。

 僕は今年で24歳になる。母親のことをテーマにこの文章を書くにあたり1番しっくりきたのが、僕と同じ年齢だった頃の彼女のことを想像することだった。母が24歳だった頃、1991年といえば忌野清志郎率いる伝説的なロックバンドRCサクセションが無期限活動休止をした年、清志郎がオーティス・レディングの言葉を日本語に訳し観客へ呼びかける「愛しあってるかーい!」というMCが一時的に止まった年である。このRCサクセションの活動休止について考えている間に、「1991年に母がどんな恋をしてどう人を愛していたのか」という部分に自然と僕の関心は向いていった。

 母はよく自身の恋愛を振り返った時、モテてモテて仕方がなかったと話す。彼女が苦手な僕から見ても確かに彼女は綺麗な人で、当時の写真を見せてもらえば(身内に使うものではないかもしれないが)「薄幸の美人」といった言葉が似合う表情でいつも写っていた。父親似の僕からすれば極めて羨ましい限りだが、何にせよそこに惹かれる男性は少なからずいるだろうと納得もさせられる。声をかけてくる異性も多かったからなのか、母の恋愛観は安定というよりは"遊んでこその恋愛"といった感じで、女の子の友人と遊ぶ予定のある僕に対していつも「今日はホテルにでも泊まってくるの?」と聞いてくる人だった。そのたびに毎回ちゃんとその日のうちに家に帰ってくる僕にさぞがっかりとしていたことだろう。

 そんな母の運転する車に乗っているといつも決まってASKAの『はじまりはいつも雨』がスピーカーから流れていた。この曲も母が24歳だった1991年に発売された楽曲である。

君の名前は優しさくらいよくあるけれど
呼べば素敵な とても素敵な
名前と気づいた
(はじまりはいつも雨/作詞:ASKA)

初めて聴いたときからこのフレーズが僕は大好きで、その人を想う気持ちをここまで美しく、そしてわかりやすい言葉で描くことができるのかと感服する。「優しさくらいよくある」という表現も、誰かに優しくするということ自体は意外と誰にでもできることかつその真意が常に問われる行為であり、だからこそ大切に想う気持ちから湧き出た本当の優しさは"君の名前"と同様に素敵なものだと思えるようになった、ということだと個人的には解釈している。  
 30年ほど経った今でもなお母の中で響き続けている『はじまりはいつも雨』。前述したように経験も多く稀薄な恋愛観も持つ母だが、この曲が彼女の中でそこまで大切になっているということは、やはり少なからず共感した瞬間があったからなのだろう。それがこの曲のリリースされた当時なのか、それ以降のどこかの瞬間なのかは分からないが、きっとそんなタイミングが彼女の中であったはずだ。そう考えれば、普段は苦手で普段は距離を置きたくて仕方がない母を僕は少しだけ近くに感じ愛おしく感じることができた。

 僕は今年で24歳。『はじまりはいつも雨』がその最中流れていた母と同じ年齢になる。母が当時誰を愛し愛されてきたのか僕には知るよしもないが、この文章を書きながら僕は自身のこれからの恋愛を楽しみに思うことができたし、また1991年の彼女の恋が素敵なものであったことを願う自分にも気づいた。どうしても分かり合えない人だとしても、その人へのイメージを膨らませ理解しようとすることがきっと大切なのだろう。今回の執筆依頼は結果的にそんなことを改めて考えるきっかけとなっていた。そして同い年の頃、母の側には「はじまりはいつも雨」があったように、これからの僕が誰かを想うときにはどうか美しい音楽が流れていてほしいと切に願わされる。何はともあれ、こういった機会に母のことを真剣に考えるのもたまには悪くないかもしれないなと、そう思うのだった。


作:中村瑞季
国家資格である社会福祉士と精神保健福祉士を取得したものの、長らく持っていた複数の精神疾患のため正規雇用で生きる道を一旦離脱。主にインターネットをしています。仕事がほしいです。

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