眼窩より咲く向日葵のまぶしさは部屋の遺体に縋り生く夏(作:後藤ケンタ)

7月21日、朝。炎天の下、澄ました顔で佇む白無垢のあなたが一瞬でも私のことを思い出してくれていたなら、それだけで私はきっと全てを許せたのでしょう。映画とはまるで線路のようです。あらかじめ決められた時間をかけて、あらかじめ決められた終わりにしか私を連れていってくれない。だから私は、映画をみる人は頭がわるいと思っています。あの日、あなたが私にかけた言葉にはどんな意味が込められていたのでしょうか。あなたと過ごした日々の中で本当に価値があったのは、その一瞬だけでした。それ以外のすべてはひどく単調で、退屈なものでした。泣くためだけの映画があるように、泣くためだけの人生もあるのでしょうか。あるとしたら、それは私の人生のことなのでしょうか。

子宮から掻き出す記憶ひとつずつ 君との日々を赫い歯でかむ

8月8日、午後。浴衣を着た少女たちは、不可算名詞になるために海のある方角へ歩いていきます。あなたが大切に抱きしめていた詩はまるで花粉のように、副流煙のように、虫歯のように、誰かの気分を害することしかできないものでした。くだらない人生を、あなたなりに飾ろうとしていたのですね。東北の訛りを隠して必死で標準語を話すあなたの姿を思い出すたび、私は吹き出しそうになります。あなたが特別な人間でないことは、あなた以外の全員がわかっていました。あなたが想定の範囲内のありきたりな苦悩でもがく姿は、何よりも滑稽で、醜く、まるで私のようでした。

8月8日、夜。悲しみのない自由な空には少女たちの歯と骨が散らばっています。望み通り不可算名詞になることができた「少女」は今、何を思うのでしょうか。太陽が夜を作るように、孤独が人の心を埋めていくように、私を見下すことで、あなたはあなた自身でいられたのだと思います。空と海を分ける水平線のように、時間はあなたを夏にしていきます。もう取り返しはつかないのでしょうか。それとも、時間が経てばすべて解決するのでしょうか。もしもこの人生が映画なら、巻き戻して、いちからやり直すことができるでしょうか。それとも、また同じ終わりになってしまうのでしょうか。

私は、部屋の冷房を強めることしかできませんでした。


作:後藤ケンタ
『後藤無線』主宰。

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