ストロベリーフィールズの夢(作:星屑)

 金木犀を選び取った夏が秋へと姿を変えたとき、もう君に夢を見ることはないと思った。ひとは未だ見ぬものに夢を重ねる。何かに憧れるとき、その対象に夢を見ている。過去ではなく未来に、予感に、鼓動はスピードを上げる。

 あの子は銀杏BOYZのCDを捨てた。嫁入り道具として持って行くには邪魔だったから。あの子はあの子自身を捨てるしかなかった。"正しいお嫁さん"になるために。義両親が住む遠い田舎に引っ越しをするらしく、仕事を辞めた。もう深夜のTSUTAYAに1人で出かけることもない、自由という名の寂しさを捨てて正しい幸福を選んだ。歪な情緒と引き換えに正しい幸福を選んだのならば、正しくあり続けなければならない(相互に正しい選択を取り続けるということ、そういう連続性による永遠の誓い)。でも"お嫁さん"という自己を失ったとき、ウォークマンの中で眠っている銀杏BOYZにまた縋り付く。

 結婚したって、会えなくったって、親になったって、離婚したって、あの子はあの子で私は私でしかない。幸せの保証はどこにもない。結婚したからどうということもない。契約って、法で守られているようだけれど、心の保証はどこにも無いし人生は巻き戻すことができない。軽薄で複雑な紙切れ一枚、そこにあるのは現実と幻、なんとなくお金と似ている。大切にしても、全てを捧げても、ある日突然それが跡形もなく消え去ったとき、もしかしたら随分前から無かったのかもしれないことにようやく気付く。"形式"は人間の内なる全てを包み、丸め込んでしまうから。

 過去が安全基地なのは、既にその結末を知ってしまったから。突然ミサイルが飛んでくることもないし、もう何にも怯えなくていい。思い出とか、大好きな映画とか本とか、もう誰も聴いていない曲とか、ガラケーに閉じ込めたままの海とか、わたしたちは"本当"が存在する場所にしか帰ることができない。いつかは必要じゃなくなるけれど。幾つもの自分を同時に持っていて、そのなかで最も愛のある"自分"へと帰ろうとする。だから今の地点と自分自身が重なって一致するまでは、どこか遠くへ帰っていい。好きだったすべてのものたちが自分自身そのものだった頃、あの子はあの子という空虚に好きなものを詰め込んでなんとか立っていた。好きなものたちのことは偽りなく本当に好きだと言えた。

「結局誰と生きるかみたいなことに最後は行き着いたとして、ひとりで生きる覚悟さえ決めてしまえば何も悩まなくていい、極論だけど。現実が戦場ならば、戦場に誰かを道連れしなくても1人で戦いさえすれば、あとは全部綺麗なままでしょ?」久しぶりに会ったあの子は、もうしがらみさえも失い、身軽な口調でそう言った。擬態してもどうせ幸せになれないのだから、ありのままでいいやってなんか吹っ切れたらしい。生きるって、絶望することだ。未来を見ては、うなだれて、夢を見ては、うなだれる、その繰り返し。どれだけ生きても知ることのない感情ってある、知ってはいけない感情ばかり知ってしまったくせに。人生の節目節目とか、感じるべき時に感じるべき感情を、ただ感じられる人生のことを最期には幸福って呼ぶのかな。ハレの日に相応しくない感情が影を落とすように、形式は心を置いてけぼりにしてしまう。

 それでも昔、君が苺キャンディーの包み紙で作った結婚指輪のことは、今でもまだ微かに思い出すことがある。


作:星屑
ミスiD 2022「ことのは賞」。庁省支援舞台公演の制作協力、海外楽曲の訳詞や日本語作詞、個展のテーマ詩の提供、エッセイ他寄稿。よくTwitterに居ます。

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