見出し画像

とことん悩める、とことん落ち込める、という幸せ

私は産後初めての挫折をした、初めて絶望した、と述べましたが決してこれまでの人生ずっと絶好調だったわけではありません
失敗もしたしトラブルもありました
でもそれらに向き合うことはありませんでした


私の父親は昔から子どもたちがなにか失敗すると、「なんでこんなことになるんだ!」と責めて「これはこうしろ!そうするものだ!そうしないなんてお前はおかしい!」と怒鳴りつけて、命令する人でした
子どもたちがその通りに実行するまで毎日でも言い続けます
そしてその通りにすれば、どうだ分かったか!となります
落ち込んでいる素振りなど見せようものなら今度は母親が「ねぇ大丈夫なの?これで大丈夫なんだよね?育て方が悪かったのかな?お母さんのせい?お母さん心配で眠れないんだから!」と追い詰めてきます

同居していた祖母は家庭内のことをなんでもかんでもご近所さんに言いふらす人で、嫁のこと、孫の学校のこと進学のこと身体のこと、とにかく見聞きしたものは憶測も交えてネタにしないと気が済まないという人だったので、祖母の前での発言は特に気をつけていました
祖母は初孫で長男の兄を溺愛していて、私が産まれたときも“なんだまた女か、つまらん”と言っていたそうです
自慢の初孫、それ以外の孫、と子ども心でも理解できるほどしっかり区別がありました

それもあって私が不用意な発言をしようものなら祖母にご近所さんに尾ひれをつけて悪く言いふらされ、父親には怒鳴られ、母親からは心配させないでとプレッシャーをかけられる

こんな家庭で育った私は、日頃から父親の“正解”に当てはまるように振る舞い、辛いときも母親に追い詰められないように平気なふりをするようになりました
話せる内容も誰の耳にも心地よいものだけ
数々の問題から目を逸らして、消えていくのを待つだけになりました

言い訳にしかなりませんが、私は自分の心を守るためにそうしていました

身に起こるトラブルや災難は、時間をかけて受け止めて、心の整理をして、なぜこうなったんだろう、なにがいけなかったのかな、次はどうやって対処したらいいのかな、とゆっくり考える必要があると思いますが
そういう時間に寄り添ってもらえることもなければ、そもそも私の気持ちや考え方を聞いてもらえることはありませんでした


独身時代のひとり暮らしを期に、少しずつ親との距離をとってきて(別の機会にお話させてください)ついに産後、初めてひとりで自由に落ち込んで、納得できるまで思う存分挫折と絶望を感じることができたのです
これはこれで大切な経験だったな、と今では良かったと思います

“悩む”ってとっても大切な時間だと思います
悩んでいる自分をさらけだせるのは、甘えられる環境があってのこと
私はTwitterで存分に甘えることができてやっと立ち直ることができました


それから悩みごとがあると、ヒントや解決法として自己肯定感が低い、自己肯定感を高める、などよく目にしますが、私は自己肯定感は得るものでも高めるものでもなく、気付くものだと思います
みんなそれぞれに自分自身を肯定する心はあるはず
それに気付けないほど苦しんでいるだけではないでしょうか

立ち直ることができればきっと自分の持っている自己肯定感に気付けると思います


それから、他人は変えられないんだから自分が変わらなければ、と己を責めても苦しいだけです
そうではなく思考回路と環境を整えましょう

辛いことに耐える努力をするのではなく、辛いことから自分を守る努力をしませんか


ぜひ一度、立ち直る方法、を試してみて欲しいです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?