吃音症

書き始める前から泣きそうになっている。吐き気がする。別に涙もろい人間では全くない。なぜだろうか、この題に向き合うことに恐怖を感じているのだろうか、真相は知った事ではない。

生まれつき、吃音症である。
発する言葉が、上手に喋れない。

なにその喋り方!ww
ちゃんと喋ってww
落ち着いて喋れ!w
聞き飽きた。別にこれを言ってくる人間に恨みは持たない、寧ろ自然な反応であると思う。でもその言葉には飽きた。適当に笑い返す所まで。

小さいころには親にも笑われた。当時は親も自分も吃音症だとは思っていなかった。自分は吃音症という障害があることを知らなかった。知ったのは、確か中学校卒業間近あたりに女友達のTさんが教えてくれたからだったと思う。同じ頃、男友達のKも「親が”そういう障害あるんだから笑っちゃいけない”って言ってた」と教えてくれた。どちらが先だったかは忘れたが、いずれにせよこの両者による指摘によって初めて障害であることを知った。

中学卒業までは、「生まれつきだよ」「癖だよ」 こう説明していた。はっきり覚えているのだからきっと何度も説明したのだろう。
中学の頃、定番のいじりがあった。私に対して、
「ごーごーごはん」「さーさーさしみ」
と周囲が言うものだ。
先に注意しておくが、今さらこの行為に対していじめだなんだと騒ぎ立てるつもりはさらさら無い。なぜならこのいじりは、周囲かつ、自分でさえも本気で面白がっていた。
このいじりを解説すると、単に私の喋り方を真似ているだけのものである。お前はこういう変な喋り方をしているんだ、というシンプルでわかりやすいいじりである。
このいじりが発生する瞬間、大部分は笑うものの、一部数名がいじる人を制止しようとしていた事まで覚えている。その数名は、この喋り方が障害かそれに類するものであり、笑いの種にすべき事象ではないと知ってたのかもしれない。心の底から感謝を伝えればよかったが、当時の私は大部分のほうだった。

今さらながら、吃音症とは何かについて記す。ここではいくつかのネットの記事を参考に、自分の症状を説明する。
吃音には3つの症状がある。例とともに以下に記す。
「連発」:ご、ご、ご飯
「伸発」:ごーーーー飯
「難発」:(声が出ない)……………ご飯

これら3つの症状は単発の場合もあれば併発の場合も存在する。
中学の頃の定番のいじりは、連発と伸発の併発状態を表している。

以上が吃音症の要点である。たったこれだけである。
ここから先は個人的な症状の特徴について述べる。

まず、自分が緊張状態にあるときは100%発症する。それも複数回にわたり高頻度で起こる。
プレゼンテーションの場に立つとき、新たな環境に身を置くとき等。小学生の頃そこそこ規模の大きな(〇〇地方レベルの)作文コンクールで表彰台に立つことになった。名前を呼ばれ、返事をする。極度に緊張した場面で、「はい」のたった2文字に吃音が発症した。この時は連発と難発が併発した。「……はいはいはいはいッ」 テキストで再現するのは困難だが、「はい」という単語そのものが連発した上、「はい」には声が注入されない状態だった。つまり、ひそひそ話でもしているかのような、息だけの「はい」を高速で連発したのである。これでは殆ど誰にも返事が聞こえていない状態である。唯一同じテーブルの隣に座っていた男子生徒にはこの「異常な返事」が聞こえていたのかもしれないが、この時既にパニック状態であった為気にする余裕もなかった。
会場からしてみても異常だろう。他の受賞者は立派に返事をしているのに1人だけ返事をしていない(ように聞こえる)のだから。顔が熱かったのを覚えている。終了後、会場にいた母親に怒られた。「なぜ返事をしないのか」。この時自分に起こった症状を説明する方が面倒だったので説明も弁解もしなかった。

次に、私は「あ」行から始まる単語が苦手である。
近年これが原因で困ったのはレジ袋有料化の際である。レジにて、「袋どうされますか?」と聞かれることに普通になると知った時、心の底から絶望した。
お願いします か
いらないです
のどちらかを発音しなければならない。両者とも、「あ」行から始まる単語である。なるべく首を大きく振ったりするなどのジェスチャーを併用したりマイバッグを見せつけておいたりする等の対策を講じるが、限界がある。吃音せずに言おうとして早口になってしまい、聞き返される場面も少なからず存在する。セルフレジは、吃音症の人間にとって救いである。
しかし「あ」行が苦手なのが響くのはレジ袋のみではない。
それは、マクドナルドである。広く言えば、「商品のサイズを口頭で注文する必要があるお店」である。コーラのサイズは?「S」「M」「L」 どれをとっても、「え」から始まる単語である。苦しくて仕方がなかった。最近はマクドナルドのモバイルオーダーを覚えたのでそちらを使用している。でも当然ながらモバイルオーダーが使えないお店というのはたくさんあるわけで、そのたびに苦しくなっている。
他にも、私は今ゲームセンターでバイトをしているのだが、ここでも「あ」行が現れる場面がある。それは、お客に呼ばれて行ってみるとゲーム機が「E-05」と表示をして止まっている時だ。こうなるとまだ新人の私は自分で対処ができないので、身に着けているインカム(無線機)で先輩スタッフの指示を仰ぐほかない。この時何を喋るか。「エラーの5番、どうすればいいですか」。「エラー」である。また、「あ」行から始めないといけないのか。毎度苦しくなりながら発音する。決まって、難発が起こる。
「ジェミニ(クレーンゲームの名称)、……………………………エラーの5番です」。
エラーが発音できない数秒間は、視界が真っ黒になる。汗が流れる。早く言いたいのに、出てこない。どう力を入れても、詰まる。瞬きが多くなる。言えたとしても、連発してしまい聞き返される。落ち着いて喋れ。聞き飽きた。ハハ…すいません。飽きた。

実は緊張状態でなければ、この「発音できない数秒間」に脳が回る場合がある。脳が回った結果選択する行動は、「回避」である。吃音を回避する。同じ意味をなるべく保ったまま、吃音しにくい別の単語を提案してくれることがあるのだ。例えば、「エラー」と言えなければ「故障」に差し替える。「Mサイズ」と言えなければ「まんなかのサイズ」と差し替える。「ありがとうございます」と言えなければ「どうもです」に差し替える。不自然な文章になる場合は多いものの、意味は通じるので会話は無事終了する。咄嗟の脳の選択に助けられている。これが、吃音の「回避」である。

加えて、自分の場合、事前に意図的に「回避」を起こすこともある程度は可能である。
自分はプレゼンテーションの場に立つことが人より少し多い。この時、スライド資料を作りこむことを意識する。アニメーションや図を多用する、各スライドの情報量を少なくする等といった工夫によって聴講者の頭に入りやすい資料を作る。こちらが吃音して何を喋っているのか分からない時が来たとしてもいいように、である。さらに、自分を緊張状態に置かないよう心掛ける。具体的には「高揚」そして「敬語の緩解」である。「高揚」とは言い換えればテンションを高く持つことだ。かなりふざけたテンションでプレゼンに入る。ステージ上を歩き回り、ジェスチャーは大げさに。スティーブ・ジョブズが憑依しているかのように、まるで自分はプレゼンのプロであるかのように、そして自分はまるでその分野のエキスパートであるかのように、その時間だけ自惚れて語り切る。意識の持ちようで変わる。吃音しないことは無いが、少し吃音したぐらいで気にしなくなる。すぐ忘れ、すぐ話に戻り、伝えたいことを伝える。自分がうまく喋れなくても大げさなジェスチャーとアニメーションの入ったスライド資料が代わりに説明してくれる。そして2番目の「敬語の緩解」。これはその名の通り、敬語口調を崩しながら話を進めるやり方である。どうしても大勢の前でプレゼンをするとなったら敬語を使いがちである。しかし敬語ありきのプレゼンと最初から意識していてはすぐに緊張状態に入る。「聞き手に敬意を」などと思っていては自分の中で余計なミッションを増やしてしまうのみである。ある程度は敬語を使うが、無理せずに。言葉の節々は普通に友達と喋っているかのようなテンション感でスーツ着た大人たちに向かって喋り倒すこともある。
「ここに行ってみたらね!」
「なんでだよ!って思ったから~」
「これこそが合理的なんじゃないかと私は思うわけ!」
大体こんな感じである。その方が上手くいくのだ。下手に緊張して吃音が起こってスムーズにプレゼンできないより何倍もマシである。このような軽快すなわち失礼な態度ともとれるプレゼンでも評価されて賞を貰ったりすることもあるので、自分を緊張状態に置かないというのは重要な事なのだ。

しかし「敬語の緩解」とは、よい結果を生まないことも当然ある。そもそもプレゼンあるなしに関わらず、敬語とは吃音症の私にとって妨げである。同じ内容の言葉でも、敬語の方が文字数が多いのだ。「ありがとう(5文字)」は「ありがとうございます(10文字)」にまで増やさなければならない。「そうなの!?(4文字)」は「そうなんですか!?(7文字)」にまで増やさなければならない。敬語に変換するとき文字数が増える場合が殆どだと思う。文字数が増えると、吃音するリスクも上がる。吃音は単語の初めだけではなく途中で起こることもあるからだ(ありがとう…ご…ございます のように)。そのため私は敬語そのものが苦手である。なので本来敬語を使うべき存在、とりわけ学校やバイトの先輩に敬語を厳密には使わないことが多い。また、吃音回避のためプレゼンの場で実践した「高揚」すなわちテンション高めに振る舞うことを先輩に対してもやってしまう。
これが何を生むか。
先輩から嫌われるのだ。生意気を理由に。
特に同性の先輩に嫌われる。勿論嫌われることのすべてを吃音症に押し付ける訳ではないが、間接的に吃音症が影響していると考えてもよい部分があると私は考える。今現時点で、同性の先輩に仲の良い人は存在しない。

最後に、「吃音は笑っていいのかどうか」について論じる。
私自身が一番受ける質問である。

この問いに結論を下すのは困難である。

いっとき、私のスタンスは「笑っていいよ」だった。
気を遣って場がしらけるより、変な嚙み方しちゃった、位のテンションでウケた方がこちらとしても楽だから、という理由をつけた。

でも、笑われることに違和感を全く覚えないという訳でも、正直ない。

こっちは真面目に喋っているのに、予期せず途中で吃音が発症して笑われるのには、ほんのり違和感を感じる。

ならば吃音しても相手は神妙な顔つきをしていればいいのかと聞かれれば、それはそれで苦しい。
こちらが劣等感を感じている物事に対して憐みの目をされているようで嫌。

じゃあどうすればいいんだと。

勿論、されて嬉しい対応って人それぞれだと思うけどね。





笑っていい。
笑っていいよ。
でも余計な一言は要らないかな。聞き飽きた。
笑うだけにして。










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