散歩論127 綺麗事と本質の話

結局この世は綺麗事で回ってるって思うっす。

この辺でいろんな本とかを読んで、いろんな人の話を聞いて、僕が気づいたことを自分の脳みその整理のために書きます。

人は誰しも綺麗なものを求めるんだと思います。

ここでいう綺麗っていうのは多義的で、成功とか美味しいとか美しいとか理想とかそんな意味です。

そうそれで、もちろんそれを追い求めることはいいことだと思います。

だって欲しいですからね。笑

ただそれで自分に嘘ついてませんか?っていうのが非常に重要なんだって思ってます。

例えばまず、理想に行き着くために行動をしなきゃダメですよね。

だって誰しもがそう言いますし。
僕もそう思うっす。

でも素直にいざやってみて、苦しくないですか?とも同時に思うっす。

つまり、それが遠い理想であればあるほど
誰かがそう言ってたから
そうありたいから
行動するってすごく苦しいことなんじゃないかって思うんです。

だって現実にいるのはその理想でない自分なんですから。

最初はいいですよ。

ただ、程なくしてその理想とはかけ離れてる自分に気がつく。

そしてその理想と現実のギャップに苦悩する自分が僕には見えます。

だから、理想とか目標ってものを出来る限り細分化して自分に達成できそうなところまで切り刻むんだと思うんですけど

その切り刻むためのキリトリ線が絶対に自分になきゃいけないって思うんです。

勉強とか特にそうなんですけど、高校生になって足し算とか引き算とかから勉強始める人って普通いないじゃないですか。

だけれど何かわからない、勉強につまづいたときにそこから始める必要がある場合だって当然ながらあるわけですよ。

勉強はそんなに大変なことではないのでいいですけど

これはいろんなことに言える気がします。

その意味で僕は自分のことを

こんなもんだ

って言い続けるんですよね。

人になんて言われようが自分のキリトリ線で物事を切り取ってるから

苦しいことはやりたくないっていうのは逃げに聞こえますけど、何かを成し遂げるためには必要なことで

結局自分が苦しくない範囲でしか人は続けることができないって思うからです。

頑張り続けても5年10年続かないですよね。

もちろん頑張った経験は充分に価値がありますけど。

ただその頑張りっていうのは続けるために、ここだけは譲れないってときにやるもので

頑張るために続けるってのは僕はどーなんかなって思うっす。

だから僕は徹底的に今の自分っていうのが理想と現実の狭間で苦しんでいないか?頑張っていないか?っていうのを自問自答してます。

それはサボるってことでもなくて。

今の自分の範囲で精一杯やって行こうってことなんですよね。

積分がわからないときには足し算からやってもいいんですよ。

人付き合いが苦手な人はSNSのリプライから始めてもいいんだって僕は思いますよ。

それはその人それぞれ。

結局、自分は自分以上にはなれないですから

世の中の綺麗事に騙される事なく自分の本質に従って行動するのが一番人生成功なんじゃないかって思います。

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