散歩論143 振り返り
卒論があと少しで書き終わりそうです〜。
完成にはまだでしょうけど。
情報の精査って難しいなーって思うっす。
正解って自分の中にしかなくて、情報の良し悪しを決めるのも自分。
人が言うアドバイスなんかもその情報の一つだとすれば、きちんと考えなきゃいけない。
それはわかってるんですけどねー笑
それってその人はそれで上手くいったかもしれないですけど、自分に当てはまるのか?
この部分ってやってみないとわからない話なんですけどね。
ただそれって100人いたら100通りの方法があって、100通り全部試すんですかって話で。笑
だから人からのアドバイスとか、本を読んでの情報とかですぐに理解しかねる時、同意しかねる時
そんな時の一個の正解みたいなものって、その与えられた情報が良いか悪いかってことよりも、なぜその情報が在るのか?ってことを考えることだと思うんです。
自分がその情報を悪いって言う時、おおよそわからんから悪いものって言ってるなーってちょっと前に気がついたんですよね。笑
わかるものって、大概
あー。たしかにそう言うやり方もあるよね。
ただしその情報ってこの場合にはあんまり役立たないからこっちの方がいい。
って言い方をしてました。
これはある意味多元論的な考え方にも通じていて、良い悪いの二元論的な見方で判断できることはホントに少ないってことなんだと思います。
つまり、
わからんから悪いもの。
わかるから良いもの。
と、無意識に自分の中で大別してしまってたのかなと。
人間の持つ恒常性的にも、わからんものってビビるっすもんね。。。
だとしたらわからんものはわかるまで考えて、考えた結果その情報は今やってる現実に対して有用度合いは高いか高くないかって言う相対的な判断を下して行く必要があるってことなのかな、と。
そーなってくると結論が堂々巡りしてるんですよね。笑
判断どーやって下すん。笑
っていう。笑
情報がこの場合には役立つのかどーかの判断ってどーやって下すん。笑
っていう。笑
経験しかないのかなぁ。。。
上手くいった!が続いたとして、これが良い判断なんだ!って思っても
すぐにその判断が覆される瞬間が訪れて。
そんな繰り返し。
そーなってくると結局、自分の判断軸って決められないなって。
軸を定めてその軸に反することが起きて、それでも押し通すのって嫌なんですよね。
柔軟性がある軸の方が現時点では良いものなのかなって思ってるし。
ほんと難しい。
わからんことだらけですわ。
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