散歩論170 考える

よく言われるちゃんと考えてって言うのは、考えてるフリを上手くやってねってことだと思いました。

そんで、僕の求める結果を示してねってことかなって思ってます。

結局言語力かな、と。

言い換える力とか。

そう言うのが良くできてる人って考えてる人って評価されるんじゃないのかなぁ

考えるのってすごく無駄というか。

考えても良いものってあまり思いつかない、というか。

良いものってセレンディピティに依るものが大きいんじゃないかなって思うんですよね。

フェルミ推定とかって考えてる感じ出してるんすけど、あれってただの言語力判定問題だと思ってるっす。

言語力無い人がいくら考えてもあんま良い答えって出てこないんじゃ無いかなぁ。

逆に言語力がある人ってあんま考えなくても出てくるのかも。

数学の問題とかはどーすかね。

考えてるのかなぁ。。。

僕はあんま受験とかで数学得意では無かったけど、

おそらく考えてるようで考えてないのかなーって思うっす。

なんとなくですけど、答えに至る過程っていうのは飛び石のある川を渡るような感じがしてて。

つまり答えに至るにはいくつかの視点が必要で

それらの視点をずーっと飛び移ってるイメージで、

詰まった(考え始めた)時って、あるグラグラした飛び石に乗るようなもので

そのままだとバランス崩して、落ちて、川に溺れる。

だからあまり考える隙も与えないくらい、リズミカルに飛び移ってく必要があって、

それがなんで飛び移れるのかっていうのは、受験数学においては(他もそうかも)(化学はそれに近かったかも)

類似性がその原動力になってたのかなぁって思います。

似たような問題を死ぬほど解くっていう類似性じゃなくて、概念と概念を結びつけていけるような類似性

あー、まぁ。

それって数学の本質に近い気がしますね。

数学者じゃ無いのでテキトーなこと言ってるかもですが

現代数学はちょっとなんとも言えないですけど

一般に数学って目の前の具体的な事象を数っていう言葉を用いて抽象化していくものだと思ってて、

でもその抽象化が一個の具体的なものと一対一対応では、なんか。。。

微妙?というか意味ない気がして

そもそも、僕は具体的なものいくつかがまとまって抽象度が上がるって思ってて

だから、概念と概念を結んで新しい概念を作っていくっていうのがなんか

あー。数学っぽいなぁって

まぁ、数学やってるからそりゃそうなんですけど。

でもその過程って言うのは考えてるようで考えてないのかなぁって。

考えて答えが出る場合はラッキー

もしも、考えないで上手くやっていく方法があれば最強だって僕は思います。

だって脳は偉大ですし

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