散歩論151 承認欲求の話

人間は承認欲求が少なからずあると思います。

それを捨てるのは無理だと思ってて

そうだとするならばそれとどう向き合っていくかっていうのが重要だと思います。

結論から言うと、承認欲求って言うのは2種類あって

結果に対する承認欲求と過程に対する承認欲求の2種類で、

前者は良くて、後者はあんまり良くないんじゃないっていう認識を持った上で向き合っていくってことです。

後者の過程に対する承認欲求って、要するに何かに対して努力している自分を褒めてほしい、認めてほしいって言うことだと思うんですけど、

それをやってしまったとき、結果が出れば良いんですけど結果が出ないとどうしても苦しいものになります。

なぜなら、人が人を判断する時っていうのは結果でしか判断ができないからです。

そーすると、過程に対する承認欲求を持った状態で結果が悪いと判断されると、その過程そのものが否定されたかのように感じて

結果的に過程そのものに嫌悪感を覚えるようになります。

こうなるとそもそも何か結果を出すのに必要な過程ができなくなり(やっても嫌悪感があるのでうまく行かない)、そんな状態でいい結果なんか望めないって思います。

もちろん、良い結果が出た場合はその過程も肯定的に捉えられるので過程に対する承認欲求は満たされます。

なので過程に対する承認欲求が高い人は良い結果が出れば続くし、悪い結果だと続かない。

でも、人生において何かを成し遂げたいって思った時っていうのは

結果が出なくても諦めずに続けて行かなければならないし、その結果なんてほぼほぼ悪いものばかりであると思います。

そうだとすると、過程に対する承認欲求を持っていると悪い結果ばかりを見て、もちろんそれは誰も評価してくれず、結果的に自分の承認欲求が満たされず、続かなくなってしまう。

だから何かしたいことがある時に、過程に対する承認欲求っていうのは無い方がいいんじゃないかと思います。

例えば、
毎朝頑張って走ってダイエットをした人

毎朝走るのが好きで走ってたら痩せてた人

どっちも同じ結果です。

この時、もしダイエットしたっていう結果に対して周りがいい判断をしたとしたらその人の承認欲求はどーなるのか。

これはあくまで主観的な話ではあるんですけど

前者だったら、辛く苦しい過程を乗り越えてゲットした結果を認められた、とするならば。

それが認められた時、自分の苦しい経験に共感して認めてもらえたって僕だったら思うんじゃないかなって思います。
つまりこれが過程の承認欲求が満たされた瞬間であります。

でも結果が出るのなんて運なので、結果が出なかった時は続かなくなってしまうんだろうなぁって思います。

一方で後者は、おそらく自分自身でダイエットに成功しただなんて思ってないはずです。
けれど結果は出てる。

この時に結果の承認欲求っていうのは持って置いて良いと思います。

これは簡単な話で、自分としては当たり前っていうかダイエットに成功したなんて自覚はないけれど、その当たり前を人に伝えると

例えばダイエットできない人からすればすごいことかのように言われるし、慕われるんじゃないかなと思います。

つまり、結果の承認欲求っていうのはある意味自分の当たり前を盛って話せるかって言うところだと思います。

もう一回結論としてまとめると

過程の承認欲求は要らない。
本当に頑張って努力して得た結果に対して、認めてもらおうとすると、その過程が良いものだったと錯覚し、過程第一になってしまう。

一方で結果の承認欲求は要る。
自分としては当たり前過程っていうのは認める認められるっていう次元にそもそもいないので、自分の本心で過程を認めてほしいだなんて思っていない。
だけれども、この社会で生きていく上では人から結果を認められるという関係の中で生きていかなきゃいけないので、その結果に対して自分では凄いことだと思ってはいないけれど、認めてもらうっていうのは必要なスキルなのかなと。


で、実際にどうやるかなんですけど。

後者の結果の承認欲求っていうのはある意味簡単だと思ってて、
出た結果に対して、その過程を盛れば良いのかなと。

自分では本心で過程を認めてほしいと思ってないから、過程を盛って話してもなんら問題はない(過程に対する承認欲求を持った状態でそれをやるとまずい)

前者の過程に対する承認欲求は、まずは頑張らないって事なのかなと。

何かをやるっていう時に、

人から教わる
本を読む
ネットで情報を集める

とかのいろんなやり方があると思うんですけど、誰かにとって正しいやり方は自分にとって正しくないやり方かもしれなくて、その正しくないやり方をやり続けるっていうのは頑張ることに他なりません。

だから、人の話なんか自分に合わないと思ったらすぐやめる。
人の話は理解してるフリでいいと思うんす。
自分じゃ出来ないことをやる必要はない。
できるのにやらないのは違いますが。

そして、完璧にこなさないとできないなんてことはない。

その完璧は無意識の自分が作り上げてくれるはずです。

だからその意味で、頑張らないことを念頭において、自分の能力に一番あっているのはどれかなっていうのを探すことに時間を使う。

これが過程に対する承認欲求を消していく方法なのかなと思いました。

どんなに結果が大事っていっても、頭ではわかってても実際そうはなれないですから、何がしかの方法で自分の無意識に刷り込んでいくって言うのが大事なのかなと思ってます。

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