散歩論153 自分は無くてもいい

最近自分の無能さに気がついてどうしてこんなにできないんだろうってずっと悩んでました。

でもそれって理想と現実のギャップに苦しんでるだけだったんですよね多分。

んでそれに対する、僕なりの解決策は自分は無くても良いなぁって思うことかな、と。

なんか僕がしんどいって思う時って、人と比べる時であったり、僕なりにやったことに対して文句を言われたりする時だったりするんですけど

それがなぜしんどいかを考えた時に、主観的に考える自分と客観的に見える自分とで乖離があるからなのかなって思ってます。

そこで、そのギャップを埋めるにはどうしたら良いのかっていうのを考えた結果

自分は無くても良くて、客観的に見られた自分をありのまま受け入れようって思ったんです。

これが素直ってことなのかも知れません。

そして自分は無くても良いって思える、また言えることこそが自信なのかなとその時にふと思いました。

まぁなんて言うか、まだ不安ではありますけどね。

自分が無いっていうのは意見がないってことだったり、好きなものがないってことだったりそう言うこと?

みたいに考えたりもします。
これが今考えてることで、自分が無いことは自分の感性が無いことと矛盾しないか、ってことです。
これについては答えが纏まったらまた書きます。

んで、結論。
多分人から言われる意見っていうのは良いものも悪いものも多分本当にそうやって見えているんだと思います。
そこに自分が無いことを仮定して、あぁそーなんですねって言えば良いんだろうなと。
それが楽な生き方だなぁ、って思います。

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