散歩論161 やっぱり他人んちの芝は青い。
どんなに自分ちの芝を着飾ったところで、他人んちの芝のシンプルさに惹かれ。
かと言ってシンプルにしたら他人んちの芝の煌びやかさに惹かれるんだろうなぁって思います。
絶対に自分の芝が一番青い!って胸を張っていえる瞬間って死ぬ時くらいかなー、少なくともそうでアッタライイナー。
なんて思ってます。
でも自分の芝って、自分だからこそよく見えてるもんだと思います。
ほら、ゴミが。
ここにも。
あそこにも落ちてる。
なんで自分の芝はこんなにも汚いんでしょうか。。。
…。
でもそんなゴミ、他人はきっと気がつかなくて、そして僕の芝は青く見られるんだろうし、また自分の芝はなんで汚いんだろうって思ってるんだろうなって思います。
最近思うのが、結局他人の芝を青く思う時って自分の芝が汚いから、ではなく自分の芝を青くするのが嫌だからなんだろーなって思うんです。
そのゴミって別に他人が投げ入れたわけじゃないし、かと言って過去の自分が放置したからってわけでもないと思うんです。
いや、そうかもしれないけれど。
そもそもゴミってきちんと分別して、処理すれば再利用できますから。
大切な資源です。宝物です。
まぁとはいえ、再利用するに至るまで時間と労力はかかると思いますが。。。
こーやって考えると、自分の芝が青くないのは他人が汚し、過去の自分が汚したからではなく、今の自分が上手にゴミを処理できていないからなんだろーなぁって思うんです。
だから他人の芝が自分の芝より青く見えたら、自分の芝のゴミをきちんと処理しようって考えるようにしてます。
ちなみに、ここでいう他人っていうのには過去に違う選択をしていたパラレル自分(?)もいます。笑
時に他人やパラレル自分は自分の芝が僕の芝より青くないからってゴミを投げ込んできますが、処理すれば宝物!ありがとう!って気持ちでいるように心がけてます。
(なお、現状多くの場合出来てないです笑)
そーやって宝物を増やして行っても、どうやっても僕という人間はきっと他人の芝が青く見える人間で。
ただし、青く見えた時は自分の芝を一生懸命掃除しようって思ってます。
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