散歩論134 エンパシーとシンパシー

最近は少しずつやりたいことがまたできるようになってきた気がします。
今は量子アルゴリズムを使って古典アルゴリズムで解いていた典型問題?的なものを解いたりしてます。
グローバーのアルゴリズムってやつとかです。

オラクルとかなんだか色々よくわかんないですけどおもろいっす。

今日はエンパシーとシンパシーについて書いてみます。

まず違いから。

シンパシーは共感とか同情。

エンパシーは感情移入とか相手の立場に立って物事を考えること。

似てますね。笑

これは見る視点の違いだと僕は解釈してます。

シンパシーは自分目線

エンパシーは相手目線

また、エンパシーは人間分析力とも言えるかもです。

少しはわかりづらいので具体的に考えてみます。

腕を骨折した友人がいるとしましょう。

この時どう感じますかね。

たとえば、

可哀想だとか。

痛そうだとか。

ってことを思うんだと思います。

まぁそれは正しいんですけど。

これはシンパシーです。

じゃあエンパシーとは?

それはその人の憂いを理解してあげることです。

いろんな状況が想定できますけど

大前提として、痛いとか最悪って状況ってのはその人にとってもう過ぎ去ったことで今の状況っていうのは、それから立ち直って一歩踏み出そうって状況だと思います。

その人は骨折をしたことで

勉強ができなくて成績が下がるかもしれない

アルバイトができなくてお金に困るかもしれない

などなど。

エンパシーってこれだと思います。

自分だったらどういう風になるのかなって想像すること。

ただの思いやりって時には

思い槍

になるんですよね。

あんたにこの気持ちはわからない

そりゃそう。
人の辛さなんて自分の尺度じゃ決して図れないですからね。

それでも、エンパシーならできる。

エンパシーってただの能力ですから。

自分だったら何に困るかなー?
とかその程度っす。

まぁ、それで実際にしてあげるっていうのはまた別問題ですけど。

これってビジネスや組織運営で非常に重要な考え方だと思うんですけどどーですかね。笑

最近なんだかビジネスビジネスって結果を出すことをある種強要?されるような状況で

外国と戦う為に強いリーダーを見たいな風潮があると思うんですけど

こういう人間らしさみたいな能力が僕は非常に重要だと思います。

これは僕が過去に死ぬほど苦しんで

人の目を気にしながら

人に認めて欲しいと強く願って生き続けた結果

そういう能力がじわじわ身についたのかもしれません。

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