散歩論148 選択

選択ってどのようにすればいいんですかね。

この世界って良いものも悪いものも正義も悪も無いって思ってます。

だとすれば自分が決めたものがある意味正解ってことなのか。

まぁ。そうかもしれないんですけど。。。

少なくともそうだとして、そう決めるには選択をしなきゃならない。

正解不正解なんてないのだから、僕のスタンスとしては全部正解であり、正解にしていくって言うスタンスではあります。

ですが、その指標として。
何をすれば良いのか。

仮説として挙げるとするならば、不正解を切り捨てるってことなのかなって思いました。

好きなもの、はわからないけど嫌いなものはわかる

何をすれば良いか、はわからないけどしてはいけないことはわかる

みたいな。

結局そう言うもので。。。

この世は切り捨てることで理解されるのかな、と。

そして、他の選択肢を切り捨てるに値するまで突き詰めなきゃダメなのかな、と。

老いるって結局いろんなものができなくなって、

最後の最後まで

歩けないけれど手足なら動かせる

手足を動かせはしないけれど話せる

話せはしないけれど聞こえる、、、

そこまで切り捨てられて自分が見つかるのかな、と。

何かを見つけるってことは捨てることなのかなってちょっとおもいました。

ただ切り捨てるって選択をするにしても切り捨てていいのか、そこまで突き詰めたのか、なんてわかりようにないことだし、そこも選択ではあるのかなって思ってます。

その選択の指標はまだわからないです。

選択、つまり切り捨てて良いのか

の、選択をして良いのか。

ずーっと巡ってます。

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