過去の自分が殺しにくる

僕が尊敬してやまないフォロワーに、中学2年生の女子学生がいる。彼女の投稿について、非常に考えさせられたので備忘録的に文章を書いてみたい。ちなみに、この文章は彼女の考えに何か意見があるわけではなく、彼女の考えをきっかけに、「保険をかける」という考え方の癖とその弊害を忘れないための文章となる。

彼女の投稿内容は、「学歴厨」という言葉が受験勉強に対する努力を過小評価しているというものだった。特にインターネットにおいてという前提がつくだろうが、「難関大学以外は大学にあらず」というようなことを公言する人たちは多い。同様に、そういった人々を「学歴厨」と馬鹿にする人たちも存在する。彼女は、偏差値の低い大学やその大学に通う人々を馬鹿にすることは問題であるとする一方で、偏差値の高い大学を目指すことや、その大学に通うことを誇らしく思うことを馬鹿にすることも、同様に問題であると主張しているのである。

僕が彼女の主張に触れて一番最初に感じたことは、「きっと俺は学歴至上主義者として勉強に励むものの、きっと志望校に合格しないタイプ」なんだろうなということであった。

例えば、東京大学への入学を目標に、小学生の頃から毎日4時間勉強したとしよう。周りの友人がInstagramに可愛い写真をアップし、甘酸っぱいデートに勤しんでいる時に、誰よりも沢山の問題を解いてきたわけだ。当たり前ではあるが、これらの努力は次の2つの結果に帰着する。ひとつめは無事に合格するというものであり、ふたつめは残念ながら落ちてしまうというものだ。

前者であればハッピーな人生が待っているだろうが、後者であれば中々厳しい現実が待ち構える。ちゃらんぽらんに遊んでいる友人たちが志望校に合格するなかで、自分だげが不合格、それも誰よりも努力してきた自分が不合格なのである。

僕は、自己効力感が低いためか、常に後者の落ちたパターンを想像してしまう。自己効力感が低いだけならまだしも、一丁前にプライドも持ち合わせているため、きっと不合格になった自分を受け入れることができないだろう。学歴至上主義者としての今までの自分が、まさに東大に落ちた自分を殺しにくるのである。

このように、過去の自分に殺されないために僕が考えることは、学歴至上主義という考え方を批判するというものである。東大に落ちたところで、学歴至上主義者でなければ、滑り止めの大学に進学すればいいし、それによって自分が傷付くこともない。まさに自分自身に保険をかける方法として、学歴至上主義という考え方を潰していくのである。

こういった至上主義は大学受験に限った話ではなく、就職や昇進、結婚など全てに潜んでいる。だからこそ、常に「いろいろな人生があるよね」という物分かりが良いようなスタンスを装うことによって、僕は至上主義者になることを避けていくのである。

確かにこういった保険は優しいかもしれない。

その一方で、何ひとつ成し遂げられないのではないかという危機感もの覚える。

ちょっと話を逸らしたい。僕は格闘技が好きなため、よく試合の動画を観るわけだが、最近意識してしまうのが開始早々KO負けした選手の気持ちである。彼らは今後、無様な負け方をした選手として、ずっとインターネットに残り続けることになるわけだし、見ず知らず子供たちから笑われて生き続けることになる。しかしながら、そのようなリスクを背負わない限り勝つことなどありえない。「負けても仕方ないよね」といった保険をかけているようじゃ、絶対に勝てない世界がそこにはあるからである。

ともすると、格闘家は必然的に、過去の至上主義者である自分と戦わざるを得ないのである。過去の自分の言動がターミネーターのように襲ってくるわけだが、そういった自分に負ける訳にはいかない。なぜなら、自分に負けることは、試合に負けることを意味するからである。

さて話を戻そう。これは仮説だが、何かを成し遂げるためには、何らかの至上主義者になる他ないのかもしれない。その結果、自分に殺されるというリスクを背負うわけだが、殺されたところで物理的に死ぬわけではない(物理的に死ぬより辛いかもしれないが)。このように考えると、至上主義者としてある種の排他性を持って物事に取り組むことと、その結果、自分に殺されても大丈夫な状況を作ることなのかもしれない。であるならば、掛けるべき保険は、至上主義者とならないようにすることではなく、自分自身に殺されたとしても、再起できるチャンスを用意しておくことなのである。

まとめ:

何かを成し遂げるためには、至上主義者となることと、その結果自分に殺されても再起できる環境が大切となる。例えば、東大以外には入学しないという主義が、東大現役合格を産むことになる。もちろん、そういった主義のもと勉強に勤しんでも不合格になる場合があるが、一通り傷付いたら再起すれば良いし、それが可能となる場所を探せば良いだろう。大学受験であれば予備校なのかもしれないし、滑り止めの大学なのかもしれない。なお、今回の投稿では書かなかったが、その至上主義が他者に向いてしまう可能性は考慮したい。例えば、偏差値の低い大学の学生を馬鹿にする必要は一切ないはずなのに、そうしてしまう場合が往々にしてあるからね。

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