映画とバイト
緩やかに毎日が過ぎていって8月ももう終盤に差し掛かっている あいも変わらずわけのわからないまま毎日が過ぎていてそれでいてそれが無意味すぎてたまに苦しい
毎日に意味を持たせるためにまた一日一本映画見る生活始めました 一年ぶりです
3年くらい一日一本映画見る生活続けてた 大学生活は自由すぎて何をしたらいいかわからないから せめて無意味なものにしたくないと思って「今日は何もしなかったけど映画見れたしな いい日だ」と思って寝られるように、 選んで見る映画が好きかどうかや興味があるかなんて関係なかったしどうでもよかった
だいぶ昔バナナマン設楽統がラジオで「映画たくさん見てる人って見てるだけなのに偉そうに語りたがるよね」って言ってたけど実際にそうだと思う どんな無能でも時間と本当に少しの集中力さえあれば遂行できる趣味だから
そんな感じで一年ぶりに毎日見る生活を再開したわけだけど振り返ってみるとほぼ内容を忘れている この映画見たいな〜と思ってぼんやり情報を集めた映画がもう見たことあるやつだったり全然する 1000本くらい見たはずなのにはっきり思い出せるのは50本もないと思う 映画見るということを非日常に据えたいはずなのにそれも生活の一部になってしまって脳が忘れてもいい情報として受け取り出してる
脳へ
映画見るのは忘れてもいい情報じゃないのでやめてください
塩谷より
全然忘れたくないのに見ても忘れた時間の死骸がうず高く積み上がっているのがわかる
映画という文化の懐が深すぎて映画が好き!と表明しあってもお互いに全然違う所にいるというのが普通にあったりする 今はまだ全然話してても俺が見てる量が足りなかったりして噛み合わないことも多いけどここを突っ切ったら何かもっと新しい景色が見えてくるような気がする そういう淡い一息で消えてしまいそうな祈りも込めて毎日映画見たりとんでもない量のごはん作ったりして時間使ってる
終戦記念日が終わると夏も折り返した気がして毎日が過ぎていくのが本当に早い 恐ろしく早くてそれを確かめるためにどうでもよくなったもう二度と会うことのない同級生のその後のことを想像してみて、今の自分と比較してみる こんなんでいいのかな俺はと思う時間が少しずつ増える もう引き返せないくらいの所まで来た気がするが俺はまだ若いという自意識があるのでまだやれると思う いつまで若いという自意識を持てるかな?
あと、1ヶ月くらい前からピザ屋でバイト始めた 最近ようやく一通り自分でこなせるようになってきて、配達しに行った家の殺人事件のアリバイ作りに巻き込まれたら面白いなとか思いながら仕事してる
車が欲しいと思うようになった 最近バイトしながらよくこのことについて考えている 俺って将来車買えるのかな? 100万円くらいは最低でも必要そうだし とても不安だ 車くらいみんな当たり前に持てるような社会になればいいのになってよく思う 俺はまだ若いという自意識があるけれど、若いって不安なことばかりだぜ 軽自動車買ったらパピコ食べながら運転したい そんなことばかり考える毎日だけど意外といい感じだぜ
俺は何者でもないのに時々そのことを忘れそうになってしまう 才能のある人間なんて一握りだし殊に俺は努力すらしてないしそんなこと語る資格なんてさらさらない 当たり前のように誰も知らないまま死んでいくんだろう でもそれもいいじゃんってよく思う 普通に働いて普通に守るものができてそれらを養っていくのはかなりかっこいいことだよ 本当にかっこいいし俺もそうなりたいってのは本当に心の底から思ってる それをわかっているんだけど時々普通に生きていくのはなんだかさみしいなって思っちゃうね でも最近はそこからさらに踏み込んで、不特定多数の人たちに評価されなくても周りの数人を笑わせられて生きていければなって心から思うようになったんだ なんでこう思うようになったかきっかけはさっぱりわからないけどこう思うようになってかなり曖昧な動機でも前より背筋伸ばして生きていけるようになった あいつはゲームから降りたんだと思われてもどうでもいい 俺は今持っているものを大切にしながらこれから先も平穏に生きていきたい 8月の俺はそんな感じ
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