撮るべき写真。

「お母さんがトイレで血が出たらしい」

***

家族電話してる時にお母さんの声に元気がないように思った。
その時に問いただしても「大丈夫だよ」とだけ。
とりあえず「わかった」と言った。
でも俺には
「やっぱり隠せないんだってば」と、
遠くで父が言ってる声が聞こえてた。

電話を終えた後、お姉ちゃんにLINEした。
「お母さんなんかあった?」
2時間くらい既読がつかなった。
お姉ちゃんはいつもすぐに返事をしてくるのに。
なんかおかしい。
「きっと子守りと家事が忙しくて返信遅れてるんだ」って自分に言い聞かせた。

「トイレで血が出たから明日、大腸検査するらしい。心配かけたくなかったんだって」
お姉ちゃんから返事が来た。

すぐにググった。
ヒットした記事にはあまりいいことは書かれていなかった。
文字を読んでたけど、頭に入ってこない。
悪い言葉だけ、脳が選び取ったように目に入ってきた。
文章としてではなく、単語をみてるような感覚。

お姉ちゃんに電話しようとしたけど、寝てるに違いない姪たちの顔が浮かんでやめた。
「電話していい?」とだけ送ってひとまず返事を待った。

でも、いてもたってもいられなくなって、
悪いことしか考えられなくなって、
涙が止まらなくなって、
気づいたらなんも関係ない友達に電話をかけていた。
遅い時間で迷惑だったろうに、快く出てくれて、話を聞いてくれた。
俺も友達も、あの電話で何か現実が変わることはない、ってことは気づいてた。
二人とも、普段は割と現実主義な方だと思うから。
それでも優しくなだめてくれた。
いい友達に恵まれたと、心の底からありがたく思う。
「明日の検査はきっと大丈夫」
20分くらい?話したけれど、この言葉を言われた(もしくは、言った)ことしか覚えていない。
自分が何を言っていたかも、どんな言葉をかけてくれたかも、詳細は覚えていない。
ただ、優しい声色だったことだけ微妙に覚えてる。
ありがとう。

お姉ちゃんとも電話できた。
この頃には一旦落ち着けていた。
少し冷静に話せたと思う。
ここでも「とりあえず結果を待とうね」と。
「きっと大丈夫だよ〜」
明るいお姉ちゃんの性格に本当に救われた。

次の日は朝からバイトだったけど、ふわふわしてた気がする。
バイトが終わって、検査が終わったお母さんと電話した。
結果から言うと、大丈夫だった。
命に関わるようなことは何もなかった。
よかった、本当によかった。
それだけを、ひたすらに心から感じた。

***

"それ"はいきなり手を引いてくるのかもしれない。
「遊ぼうよ」って無邪気に笑う子供みたいに。
大事な人の手を、人に溢れたこの世の中から、なぜか選びとって。
逆らえなくって、そのまま着いて行ってしまって、
そしてずっとずっと遠くに連れて行ってしまうのかもしれない。

家族の写真を見返していた。
LINEアルバムには6年くらい前の写真から残ってた。
旅行に行ったり、帰省してたり。
俺がカメラで撮った写真もあった。

「もっと写真を撮ろう」と思った。
こう思った理屈や意味、感情を、まだきちんと言葉にはできていない。
でも言葉にする意味はないんじゃないか、とも思う。
家族の写真を撮る理由を、言葉できれいに整理する意味があるとは思えない。
「撮るべき」写真の一つだと思うから。
カメラマンだから、と言うわけではない。
息子として、家族として、「もっと撮らなきゃ」と思った。

今のコロナが落ち着いたら(早く落ち着け)、帰省しよう。
そしてたくさん写真を撮ろう。
そう強く感じた二日間だった。

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