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これからの暮らしと生き方、今感じていること。

23年の3月に、無事に大学を卒業しました。
お世話になった人への感謝や報告を込めて、note書きます。

卒業式の日に撮ってもらった写真。
とっても嬉しいです、ありがとう☺︎

結論は、
就職はせずに、カメラマンとして暮らしていきます。
人から直接「ありがとう」と言われたお金で生きていけるこの職業は、
本当に幸せだと思います。
同時に、責任も重い仕事だと改めて感じています。
生活必需品ではない"写真"。
なくても生きていけるもの、荒々しい言葉を使えば"別にいらないもの"。
それに価値をつけて生かされるカメラマンという職業。
相応の覚悟と努力が必要です。
だから、もっと勉強してアウトプットをして、自分を高めていきます。

アウトプットという点においては、他のことにも挑戦していく中でも刺激を受けていきたいと思っています。
挑戦してみたいことはまだまだあるし、何せまだ20代なので若さを糧に頑張っていきます。

話は変わって、なぜ就職を辞めてカメラマンとして暮らすことにしたのか、について。
理由は2つあります。
①就職する形での働き方は向いてないんだろうと思った。
②在りたい自分が写真をしている自分だった。

就職活動をする中で感じたことは、
一定嘘に近いことを”ビジネスだから”ということを免罪符に言わなければいけない場面があるということへの違和感です。
特に新卒市場はどうしても自分を誇張したり、
思ってもないことを言った方が評価される側面があります。
(ホンネとタテマエ、嘘と真実は表裏一体なので一概にどちらだといえないところも悩んだ点でした)
とはいえ、そういったやりとりを間違っているとは思ってませんし、
本当に熱意を持って仕事に取り組まれている方も友達もいました。
そういった方々とのご縁はとても嬉しかったし、
友人も心から尊敬しています。
そうした人たちが創ってくれている社会のおかげでいま幸せに生きていられるんだとも実感しました。

ただ、1年間で200社以上の選考を受けた上で自分について思ったことは、
俺はビジネス的なやり取りが苦手で不得手だろう、ということ。
不得手な場所より少しでも戦いやすい場所で、と思って就職をやめました。

また、就活の合間を縫って友達と写真を撮っていた時や、
疲弊して帰省した時、家族に言われた言葉がずっと忘れられませんでした。
「写真を撮っているあんたが1番いきいきしてるよ」と。
写真を撮っている俺は満面の笑みで笑っているそうです。
自分が思っている以上に、何倍も何倍も、
俺は写真というツールが好きだし、大切にしたいと考えているのだと、周りの声のおかげで気づきました。

在りたい自分は写真を撮っている自分。
写真やそれに関する抽象的な人の想いについて考えている自分。
そしてそれらの愛おしさを伝えたり、残す手段としてカメラを手にしている自分。
自分に対する付加価値はきっとここにある、
そして、そういう人でありたいのだと。

とはいえ、
「なんでそんなに写真が好きなの?」
と問われると、しっくりくる解答ができませんでした。
正確には、少し気恥ずかしくて公言できていなかったんです。
でも、この機に勇気を出して書こうと思います。

話を戻し、
なぜ写真が好きなのか、という問いに対する自分の答え。
それは
「"もっと優しい世界になってほしい"という想いを体現できると思っているから」です。

俺の撮る写真は単語で言うなら
「笑顔・明るい・優しい・柔らい・幸せ・日常・節目」
という感情や瞬間を表現していることが多いように思います。
プライベートも仕事も、そういった場面をきりとることを意識しています。

それは
忘れないように記録するためだったり、
幸せな瞬間を思い出して「明日もがんばろう」と思えるようになるためだったりします。
また、写真を始めてから思うようになったことがあります。
それは思い出が写真としてある人はやさしい人、
人を気遣える人なんじゃないかなと言うことです。
大切な人が笑っている瞬間の写真がある、
楽しかった瞬間の写真がある、
愛おしさを感じる写真がある、
それらがある人は、きっと他人が考える"愛"みたいなことを想像しておもいやれる人、行動できる人なんじゃないかな、と。
「だって自分にもそんな瞬間や気持ちがあるんだから」というふうに。
そんな人が増えれば、
世界は少しやさしくなって、心が温まるんじゃないかなって。
そんな願いを込めてシャッターを切っています。
ちょっと極論のような気もしますが、
抽象的な要素の多い写真には、
同じように抽象的な要素の多い人の想いや感性の部分に深く影響しうるのだと思っています。
そして、人の想いほど大きな力はない、とも。

少なくとも俺自身は写真があったからこそ、
辛いことや悲しかったこと以上に、
楽しかったこと、幸せだった瞬間を鮮明に思い出すことができたし、
乗り越えることができてきました。
また、(まだまだ未熟で至らない点は多いですが、、)思いやりを持って人に接することができる人であろうとがんばれている気がします。
そんな人を増やしたいなあって思ってカメラを手に取ることを選びました。

人の想いや、愛、ということは俺の人生のテーマなのだと思います。
理由は幼少期の育った環境ですが長くなるし(もう十分長くなってしまったけれど、、)、
SNSでオープンに書けるほどの勇気はまだ持ち合わせていないので今回は省きます。

写真はありのままも写せるし、
偽りの姿も写せる。
それは裏返せば"写したいものだけを写せる"ということ。
それなら自分が願う世界を写真で表現することで社会に貢献したい、
そこに価値をつけて生きていきたい、
そう思うようになったことが写真を好きな理由で、
生き方としてカメラマンを選んだ理由です。

親や友達に就職せずカメラマンとして生きていくと報告した時、
応援と安堵の言葉をもらいました。
「その選択肢がこういちろうらしいよ」
「写真を撮っているこういちろうであってほしいと思ってたから、応援するよ」
とか。

特に母親は泣きながら喜んでくれました。
「あんたがどんどんすり減っていくのを見てたから、
写真を撮ってる楽しそうなあんたに戻るなら、
それが1番安心する。
応援するよ」
と。
当時は就活で10kgほど体重が落ちていた上に、
縁もゆかりもない土地に、
半ばこじつけのような志望動機で自暴自棄に内定承諾をしようとしていたからこそ、
沈んでいく俺の姿が想像できすぎてたのだそうです。
普段は楽観的で明るい姉も「それはやめときな」と笑顔で、
でも少し真剣な表情で伝えてくれた時はやっぱり家族はよく見てくれてるんだなと福岡の家でこっそり泣きました。
父はある日突然鹿児島から福岡にきて、何も言わずに焼肉に連れて行ってくれました。

就活はとてもとても、とても苦しかったけれど
自分がいかに恵まれているか、
自分は本当はどうありたいのか、
なぜ写真を仕事にしたいのか、
と言ったことを深く見つめ直すことができました。
きっとこれからも考え続ける必要があるし、
考えが変わることもあるかもしれない。
けれど、
少なくとも今は自分の考えに腹落ちしている感覚があるのですっきりしています。

自分が選んだ生き方の軸は”別に無くても困らないもの=写真”に価値をつけて社会に貢献していくことです。
さらには【飯干功一朗】という人物そのものにもっともっと付加価値をつけていかなければ生きていけない。
だからこそ困難なことや高い壁もたくさんあります。
でも、決断した日の思いを忘れずに、
明日からももっとやさしい世界になるようにと
願いを込めてシャッター押していきます。

最後に、家族と友達、休学中から卒業まで寂しさを感じさせずに楽しく日々を過ごさせてくれたTHE LIFEのみんなにたくさんの感謝と愛、がんばりますと誓いを込めて、
「これからもよろしくね、大好きです。」



おわり。


2023.04.02.飯干功一朗

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