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感性のはなし。

「それ、わかるかも」。
他愛もない話とかの途中でよく出る言葉。
今日残すのは「わかる」や「それ好き」という会話の中の言葉から感じたはなし。
感性のはなし。

***

「夏の始まりが好きなんだ。
梅雨が明けて、やっと太陽が出てきた日の、
気持ちいい天気の、夏が好きなんだ」

「それわかるかも。
でも、私は夏の終わりも好き。
半袖半パンでは少し肌寒くなった頃に、
上着を一枚羽織ってコンビニでアイスを買いに行く夜がある、夏が好きなの」

「それわかるかも。俺も好きだ」

「「じゃあ、俺たち、夏の間中はずっと好きだね」」

***

友達がこう言う会話をしたらしい。
詩人みたいな言い回しや感性を持っているな〜って関心しながら話を聞いていた。

夏に風情を感じて言葉にできる2人も素敵だな、って感じたけれど、
会話の中に出てきた「それわかるかも」という言葉が俺はなぜか気になった。

わかる"かも"っていう言葉。
断言ではなく、(限りなくそうだろうという)推測の言葉。
誰かと話す中で、名詞がついたのかな〜って。
自分ではなんとなく思っていた感性のカタマリに。
自分で発見したわけじゃないから、"かも"なのかなって。
9割はわかって、1割くらいは自分の中の感性が「もうちょっと違う意味も自分は持ってるんだよ」って無意識に感じてるのかなって。
だから"かも"っていうのかなって。

知ってるようで知らない、
自分の中の"何か"に、言葉をつけることができた時、
きっと気持ちいいんだろうな〜って思ったはなしでした。
その"何か"は感性だったり、想いだったりなのかな〜。
そういう、ふわっとした感性のはなしでした。

俺も、そんな機微に名前をつけて愛でることができる大人になっていきたいな。






おわり。

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