ジブン。
いつからだろう。
自分の意志よりも周囲の意志や快楽を尊重するようになった。
「誰かが嫌な気持ちになるなら」
「自分が呑み込みさえすれば」
「みんながいいなら」
いつからか、物事の決定の軸が他人になってた。
かといって自分の軸を曲げてるわけじゃない。
八方美人をしてたわけでもない。
自分の軸が他人だから、人を見る。
言葉にすると綺麗ごと。
でも実践してるんだからきっと偉い。
そう言い聞かせてた。
大人になるってそういうことだと思ってた。
ここ2年の考え方の変化だった。
***
いつからか自分の話をしなくなった。
本当に限られた時だけ、許してくれる時間があった時だけ、話す。
今思えばそんな貴重な時間でさえも、心からの本音を言ったことはなかったかもしれない。
人は誰だって自分の話を聞いてくれる誰かが好きだと思う。
気持ちいもんな。
俺もそうだった。
そう考えてたら「みんながそうなら」って思って聞くことが増えた。
求められれば自分の意見も話した。
でも傷つけないように、落ち込ませないように、どこかで本心を隠しながら、飾られた言葉で伝えた。
何かしら前に進んでくれる人が多かった。
感謝されることも多かった。
だから俺も気持ちが良かった。
「最近大人になったね」
「朗らかだよね」
「落ち着いてるよね」
そう言われることが増えた。
聞き役になることが多かったからなのかな。
何かしらヒントになることを伝えることができてたからなのかな。
怒るとか、苛立つとかしなくなったからなのかな。
俺は自分がすっきりするためだけに感情を発散する必要はないと思ってる。
だから感情をむき出しにすることはあんまりしなくなったと思う。
一旦冷静になって、考えて、丁寧に言葉を紡いで伝える。
そうしてきた。
自分の話はしなくなった。
人の話をただひたすらよく聞くようになった。
***
「自分が成長するためには他人の成長を手助けすること・考えられるようになることが大事」
いつか言われた言葉がいつも耳元で聞こえてた。
「誰かのために何かを考えることができてる、自分はその分成長できてる」
人の話を聞いている時、いつもそう思ってた。
間違ってはないと思う。
ただ、俺も`俺`の成長を思いっきり考えてみたい。
誰かに全部打ち明けて自分の幸せについて本気で考えてみたい。
ただただ傍で話を聞いてほしい。
夜になるとそう思うことが増えた。
今は勇気はないけれど、いつか。
わがままな自分を周囲は受け入れてくれるだろうか。
結局は、ただ嫌われるのが怖いだけの小心者。
それがジブンだった。
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