夜は苦手だというはなし。

夜は苦手だ。
小さい時からずっと苦手だった。

暗くなると、知ってる場所が知らない場所になる。
見えてた道が、見えなくなる。
そんな夜が苦手だ。

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おばけや怪談話はぜったいに無理な子供だった。
夜のトイレは家中の電気をつけて、半分寝ている母を連れて行っていた。
ほん怖の放送がある日の泊まり会は地獄だった。
耳をふさぎ、目をぎゅっとつぶって終わるのを今か今かと待っていた。
給食の時間に放送部が流してた怪談話の朗読は、
「耳を塞いで泣き出して給食を食べれない子供がいるから中止になりました」とある日言われ、放送されなくなった。

俺の実家はたんぼに囲まれていて、
街灯も少なかったから暗かった。
しかも、一本道なもんだから、50m先が見えるか見えないか。
絶妙な暗さが逆に怖かった。
でも、横を向いたり、後ろを振り返れはしなかった。
「何か目の前にいたらどうしよう」と思っていたからだ。
それくらい、”みえない何か”を怖がっている子供だった。

昼間楽しく遊んだ場所も、顔色が変わる時間。
草や木がざわざわしだす時間。
まるで昼は眠っていたかのように、夜の時間は起きてる気配が多くなる。

そんな夜が苦手だった。

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大人になって、ひとりでトイレに行けない、なんてことは流石になくなった。
でも、あの頃感じていた夜の気配は、
姿形を変えて近くにいる気がしてならない。

しかし、それらの正体はおばけや幽霊では無さそうだ、ということに最近気づいた。
今住んでる場所は夜でも煌々と光が灯っているし、
見たことがない幽霊やおばけやりも、生身の人間の方がよっぽど怖いということを知っているから。
今感じている気配は、
言葉にできない不安や、誰に言えばいいかわからない悩み、何十年か先に待ってるかもしれない孤独だったりするのかもしれない。

昼間見ていた景色も、色褪せて見える時間。
希望に溢れていた将来が、朦朧として見えなくなる時間。
忘れていた真実を、はっきりと突きつけられる時間。

暗くなると、知ってる場所が知らない場所になる。
見えてた道が、見えなくなる。

そんな夜が苦手だ。






おわり。

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