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ディズニー「眠れる森の美女」考察

カッとなってやった、後悔はしてない。
これを読んで少しでも気になったら映画を見てください。(布教)
※下に行くほど妄想色が強くなります。最後は100%妄想です。
※4500字オーバーです。だんだん気持ち悪くなっていきます。自衛してください。


結論:運命に惹き合わされたふたりが、自らの意思で愛を勝ち取る話


1 妖精たちの贈り物

うまれたばかりのオーロラ姫に3人の妖精はそれぞれ贈り物をします。
1人目は「美しさ」、2人目は「歌声」、そして3人目は「マレフィセントの呪いによって死ぬのではなく、深い眠りにつく。そして心から愛する人のキスで呪いは解け、眠りから覚める。」というものです。

これに対して、本作のヴィランズであるマレフィセントは「オーロラ姫は美しく優しく育ち、あらゆる人から愛されるだろう。しかし16歳の誕生日の日が沈むまでに、糸車の針で指を刺すだろう。そして、死ぬ。」という贈り物をします。

マレフィセントの言葉を聞いた国王によって、国中の糸車が燃やされます。これにより、偶然糸車に触れて呪いが発動することはなくなりました。
マレフィセントは、16歳の誕生日までにオーロラ姫に接触し、糸車に触れる機会を作る必要があります。

一方、3人の妖精はマレフィセントがオーロラ姫に接触する事を防ぐために、オーロラ姫を「ブライア・ローズ」という身寄りのない娘として、魔法を使わずに森の奥深くで育てます。


2 ブライア・ローズ

何も知らないオーロラ姫は、ブライア・ローズとして16歳の誕生日を迎えます。

3人の妖精は誕生日を祝うためにケーキとドレスの準備を進めます。しかし、ここで1人の妖精が「ケーキなんか作ったこと無いでしょう?」「お裁縫なんてできるの?それに料理も!」という台詞を口にします。
さらにこの場面、「お行儀の悪い姿勢で誕生日を祝う相談をする(=手は動かしていない)妖精」と「誕生日にも関わらずひとりで家の掃除をするオーロラ姫」という描写があります。

オーロラ姫は、自分ひとりが家事をすることを受け入れ、おばさま(=妖精)の言い付けも素直に守ります。もちろん彼女が綺麗な心の持ち主だった、というのもありますが、さすがに度が過ぎています。

妖精たちの贈り物の中で、オーロラ姫の内面に言及しているのはマレフィセントだけです。
彼女の「美しく優しく育ち」という呪いの一節によって、オーロラ姫は異常とも言える環境で素直に育っていると考えられます。

16年間、魔法も使わず、家事もせずにオーロラ姫を育てる事が可能でしょうか。
普通に考えれば到底不可能ですが、私は可能だと考えます。

マレフィセントの呪いは強力で、絶対に解けません。
「16歳の誕生日の日没までに呪いで死ぬ」という事は、すなわち「16歳の誕生日の日没までは呪い以外で死なない」という事になります。つまり、オーロラ姫はマレフィセントの呪いによって生かされているのです。あまりにも皮肉……

ここまでで、マレフィセントの呪いが如何に重要かがわかります。


3 フィリップ王子

では、3人の妖精は無能だったのか?
私はそうは考えません。彼女たちの贈り物にも意味があります。

「心から愛する人のキスで呪いが解け、眠りから覚める」というのが本作のクライマックスです。
キスの相手は、オーロラ姫が愛する人なら誰でもよかった訳ではありません。彼女には生まれた時から国王が決めた婚約者がいます。
国王と良好な関係を築いている妖精たちが、わざわざ国王が決めた婚約を覆すというのは不自然です。つまり、「心から愛する人」は婚約者であるフィリップ王子のことを指しています。

したがって、オーロラ姫は呪いが発動するまでに(最長で16歳の誕生日まで)、フィリップ王子を心から愛さなければ、眠りから覚めることができなくなります。

しかし、マレフィセントとオーロラ姫を接触させないためには、オーロラ姫を隔離するしかありません。実際、オーロラ姫は森の動物たちに「誰にも会わせてもらえないの」と話しています。

「誰にも会わずに、フィリップ王子と結ばれる」というのは一見矛盾していますが、こちらも可能です。
本作の名曲「Once upon a Dream(いつか夢で)」が答えです。オーロラ姫は夢の中でフィリップ王子に会い、恋をして、彼と結ばれます。

オーロラ姫は夢の王子様について「スラッと背が高くて、ハンサムで、とてもロマンティックな方。一緒にお散歩しながらお話をしたの。同じ夢を何度も見れば、その夢は叶うんですって。私、何度もあの方にお会いしたわ。」と話しています。
さらに、フィリップ王子の服を纏った動物たちに「まあ、夢の王子様!」と話しかけていることから、夢で会っていた相手とフィリップ王子は同一人物であり、かなり好意的だと考えられます。

一方で、フィリップ王子にとってオーロラ姫もとい、ブライア・ローズは「森に住むただの娘」でしかありません。
オーロラ姫が眠りから覚めるためには、森で出会った一瞬の間に、何としてでもフィリップ王子に恋してもらわなければなりません。

ここで力を発揮するのが、妖精たちの「美しさ」「歌声」、そしてマレフィセントの「美しく優しく育ち、あらゆる人から愛される」という贈り物です。
フィリップ王子は森でオーロラ姫の歌声を耳にして、その声の主を探します。そして探し当てた声の主は、美しさについて二重に魔法をかけられ、あらゆる人から愛される魔法もかけられています。
これによって、フィリップ王子はもはや問答無用でオーロラ姫に恋をします。

以上より、3人の妖精たちの贈り物をまとめると
「一目見ただけでフィリップ王子が恋に落ちる美しさ」
「遠くから聞いただけでフィリップ王子を惹き付ける歌声」
「幼い頃から繰り返しフィリップ王子の夢を見せ、夢の中でふたりを結ぶ」
となります。

まさしく3人がかりでマレフィセントの呪いに対抗していると言えます。


4 マレフィセント

3人の妖精の贈り物が実を結び、オーロラ姫とフィリップ王子が結ばれた頃、ようやくマレフィセントもオーロラ姫の居場所を突き止めます。
オーロラ姫の居場所が分かってしまえば、マレフィセントの呪いが発動するのは避けられません。

次の争点は、呪いを解く鍵であるフィリップ王子の生死です。

マレフィセントは、オーロラ姫を眠らせ続けるためにフィリップ王子を殺そうとします。これに対して3人の妖精は、オーロラ姫を目覚めさせるためにフィリップ王子を援護します。

この援護が桁違いの性能です。「真実の剣は素早く正確に飛び、悪は死に絶え、二度と蔓延ること無し」の呪文と共に投げられた剣でマレフィセントは一発退場です。
つよい…つよすぎる……今までのは何だったんだ…

16年間魔力を貯めた分、強い力が発揮できたと考えると無難ですが、色々考えられて楽しいですね。
眠らせた城の人々のエネルギーを魔力にした、とか、フィリップ王子に対悪特攻の贈り物があった、とか無限に楽しめます。

個人的にはマレフィセントが自滅したという解釈を推したいです。
「あらゆる人から愛される」の「あらゆる人」にマレフィセント自身が含まれていると考えると、魔力で大きな差があり、使える魔法にも制限がある妖精たちに敗北するのも頷けます。呪いをかけた相手を無自覚に愛してしまい、自分の呪いで自分の首を絞め、敗北する道しかなくなってしまった…
おそらく実写映画「マレフィセント」の制作陣に、これと近い解釈のスタッフがいるんじゃないかと思います。


5 愛と運命

「マレフィセントの魔法は絶対」を基に解いていくと、本作は善vs悪の魔法対決であり、ラブロマンスは副産物です。
これは台詞や登場シーンの量から見ても明らかです。ほとんど妖精たち(というかフローラ)が喋っています。
それでも間違いなく、オーロラ姫とフィリップ王子のラブストーリーとして成立しているところが本作の魅力だと思います。

副産物とは言いましたが、オーロラ姫とフィリップ王子が自分の意思と無関係に結ばれたとは思っていません。
親が決めた婚約者、呪いと魔法、色々な意味でふたりが結ばれる運命だったのは間違いないでしょう。
それでも、森の中で出会ったとき、ふたりはたしかに恋に落ちたのです。

これは楽曲からも明らかです。
本作はチャイコフスキー作曲のバレエ組曲からの引用で構成されています。そして多くの場合、同じ場面では同じ楽曲が引用されています。

例えば、マレフィセントの最期とカラボスの最期は同じ楽曲です。最初の妖精たちの登場シーンはプロローグのカナリアの精のヴァリエーションですし、最後のオーロラ姫とフィリップ王子がそろって階段を降りてくるシーンは3幕の結婚式のファンファーレです。ブルーバードのフロリナ王女のヴァリエーションが流れれば、青い小鳥が現れます。

では、ふたりが恋に落ちた「Once upon a Dream(いつか夢で)」はどの楽曲でしょうか。
バレエでは、オーロラ姫登場の前に村人が大人数で踊る華やかなワルツです。オーロラ姫もデジレ王子も登場しません。

なぜ、この曲を選んだのでしょうか。
ふたりがペアで踊る曲、といえば3幕のグラン・パ・ド・ドゥですし、ふたりが出会う曲、といえば2幕の幻想の場面が印象的です。
そこには「ワルツ」というダンスが持つ意味が絡んでいると考えます。ワルツは、男女がペアとなり向かい合って手を取り踊ります。その物理的な距離の近さは心の距離を現し、互いの視線は相手をどう思っているかを現していると見ることができます。

はじめは目線を逸らし、距離を取ろうとする一方だったオーロラ姫ですが、フィリップ王子がワンフレーズ歌えば、片手を許し、目線を合わせ、もう片方の手も肩に添えます(ミュージカルあるある)。ふたりの距離は近づいたり離れたり、目が合ったり顔を背けたり、常に変化しています。
私はこれを、ふたりが相手のことを知ろうとして歩み寄り、恋に落ちて結ばれる過程を描いていると解釈します。

本作のエンディングでもふたりが踊るシーンがありますが、ここではお互い目線を逸らすことはなく、両手で組んだまま踊ります。おとぎ話の絵本の中で、ふたりは永遠にお互いを見つめながら踊り続け、本作は幕を下ろします。
これはふたりが運命として結ばれたのではなく、定められた運命をも超える、愛を勝ち取って結ばれたことを示していると受け取りました。

オーロラ姫とフィリップ王子というカップルの魅力は、もはや書ききれませんが、極端に情報量が少ないというのも大きいと思います。
誰もが知るおとぎ話がベースだからこそ、不要な情報を削ぎ落としたキャラクター像を作ることによって、受け手が自由に想像できる余地が広がります。
運命から愛を勝ち取った話として見るのと、運命に翻弄されて愛を押し付けられた話として見るのでは、エンディングの印象が全く異なります。(後半、ふたりの台詞がひと言も無いのは、人間として自由に人生を選ぶ権利(=声)を剥奪されたから…等、歪んだ解釈もいくらでもできます。闇の考察厨です、すみません。)どういうストーリーとして楽しむかの自由度が格段に高いのです。

「眠れる森の美女」という映画を見て、自分だけのオーロラ姫とフィリップ王子の物語を編んでいくと、何回でも楽しむことができると思います。
どうぞこの作品を見て、好きになって、自分だけの物語を考えてみてください。


オーロラ好き増えろーー!!!!!!

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