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第2号試し読みー「海」ジロウ

9月8日文学フリマ大阪で販売します「第九会議室 第2号」の、掲載作品の冒頭試し読みコーナーです。

ジロウ 著者紹介(本文抜粋)

X(旧Twitter)@sabu87714

「海」ジロウ 冒頭

 車椅子の女と海に行くことになった。三年前に結婚した兄の嫁である。彼女は妊娠していて、お腹も大きく膨らんでいるらしく、海までは兄が車で送る手はずとなった。兄と僕は、たまに連絡は取り合うものの、かれこれ八年ぐらい顔を合わせていない。
 電話をするのは決まって向こうからで、「どうしても彼女がその日に海を見たいらしいんだ」と兄は言った。「でも俺は正午まで仕事があるんだよ。……それでお前に彼女の付き添いを頼みたいんだけど、どうだろう?」
 予定の有無にかかわらず、僕としてはあまり面白い話ではなかった。兄とは何年も会っていないわけだし、その嫁なんて本当に他人も同然だ。それに車椅子で妊娠しているというのも正直いって面倒臭かった。周囲からは好奇の目で見られるだろうし、そういうことを考え出したら何だか気落ちする。
 でも僕は、しばらく迷った後で、「うん、わかった」とちいさな声で返事をした。そう言ったのは、相手が兄だったからなのか、好奇心に駆られた気の迷いだったのか、あるいはまた別の理由がそうさせたのか、僕にもちょっと判別がつかない。「その日は休みなんだ」と僕は言った。「たぶん誰かと海を一緒に見るぐらいどうってことないよ」

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