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第2号試し読みー「九月抄」森岡大

9月8日文学フリマ大阪で販売します「第九会議室 第2号」の、掲載作品の冒頭試し読みコーナーです。
森岡さんは今回も挿画を担当。

森岡大 著者紹介(本文抜粋)

三年動くと一年動けなくなる。小説を書くようになって三年になる。勤めも暮れまで続けば三年になる。(続けば)どこに行くのも億劫になり、自転車に乗ることもできなくなった。ハンドルを握るのも、鍵を開けるのもしたくない。歪んだサドルに座ると数日尻が痛くなる。仕方なく歩くのだが、出かける前に着替えるのも大変になってきて寝間着のままコートをひっかけ外を歩くようになった。唯一の楽しみであるアズマヒキガエルのガチャガチャのため、財布には百円玉を三十枚は常備してある。一時間働いて二匹しか増やせないのが悩ましい、娘に重たい財布を渡して回してきてと嘆願する。残りのカプセルの数は目視であと四個か五個といった今日。 

「九月抄」森岡大 冒頭

  2023年8月28日
 昨日娘と一緒に歩いた公園の深い草むらからは秋の虫の声が聴こえてきた。酷暑といわれた人間の体温よりも気温が上回る夏は終わる気配がないと思っていたが、朝の気温が二十九度、昼の気温が三十五度というのが、楽に感じていた。
 職場の駐輪場で一週間前に見たネズミの死骸が頭から離れなかった。その日は昼からの出勤で十五時くらいに黒い雲があふれ、空が何度も光った。かなり近いところに落ちたのではないかと思うほどの大きな雷鳴が響いた。粒の荒い雨がとめどなく降りだした。高架の上から降りてきた自転車の主人たちは、雨の当たらないところから自分の自転車を見つめ、それからスマートフォンを見ている。
 ネズミの死はわたしの死に違いない。死にたくなった。
     
 2023年8月29日
 二十時五十四分、わたしの布団で下の娘が寝ている。右の手首が変な角度になっていて、曲がっても差し支えのない角度に戻してみる。寝返りを打つと長いくせっ毛が顔を覆い、それに苦しんでいる。首に巻き付いている髪の毛を解くと、汗をかいている。ティッシュペーパーを一枚取って、汗を拭う。丸めて畳の遠いところに投げる。
 明日は朝の六時に出勤なので、スマートフォンのタイマーは五時三十五分に合わせてある。たぶん朝まで眠れない。布団の周りに広げたどの本を読んでみようとしても、字がぼやけている。目はもう本を必要とはしていない。
     
 2023年8月30日
 夢、白いところにいる。背の高い女がこちらに向かってくる。近づいてこなくても大きさが普通でないことがわかる。彼女の乗れるような自転車はここにはないはずだが、女はまっすぐ向かってくる。わたしは左手だけ軍手をはめて準備をする。あわててはめたせいか小指だけ軍手が余っている。被せてみて小指を失くしたことに気付く。

 2023年8月31日
 朝六時過ぎから十二時半まで駐輪場。帰ってきて、図書館に行こうと思っているうちに十七時四十二分。妻と娘が帰ってくる音がする。ナンバーガールの『透明少女』を動画で繰り返し見ているうちに日が暮れかけている。歌詞が聞き取れないほうが今はいい。それでも異国の言葉でないほうがいい。
 玄関横の自分の部屋からベランダのある畳の部屋に移ってから何も書けていない気がする。ここにしか冷房が届かないから仕方ないとしても、何も書くことがなくなった気もする。来月のはじめには同人誌ができるらしいが、その頃自分がどうなっているかわからない。

 2023年8月32日
  二年前のこれくらいの季節に上の娘と岩山に登った。二年経って保育所にいた娘は小学二年になっている。自分も文学学校に二年通ったことになる。お金があったとして、どうしたいかというと、何か違うクラスに移ってしまう気がする。よくしてもらうと、そこに居てはいけない気がする。居心地の良し悪しとは別の話なので、説明しにくい。誰に説明するわけでもないのだが。

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