25歳のお誕生日。
今日、8月9日。僕は25歳になった。
僕の地元、大阪の藤井寺市では、毎年8月9日に「千日まいり」という行事がある。
子供の頃、この千日まいりは僕のためのイベントだと本気で思っていた。
思えば僕の自尊心を高く高く積み上げたのは、この千日まいりかもしれない。
誕生日に市民総出で奉られたら誰だって図に乗る。文句は千日くんに言ってほしい。
兎にも角にも、無事に四半世紀生かされた。おめでたい。
せっかくなので24歳からの一年間を、画像で振り返ってみようと思う。
2019年8月9日
「東京NSC21期生の首席を改めて決める」という趣旨のライブがあった。
僕個人は東京NSCで言うと20期生で、彼等の一年先輩にあたるのだが、吉本興業ではコンビとしての芸歴を下の方に合わせるルールがある為、21期生扱いの9番街レトロはそのライブにゲストとして呼んでもらえた。
そのライブ終わり、打ち上げがてら24歳の誕生日を盛大に祝ってもらい、「今日のお返しで、ここにいる全員に飯を奢る」と約束したことを覚えている。
その約束が守られているかどうかは一旦置いておく。
2019年8月25日
同期の福田フェイフェイにしゃぶしゃぶを奢ってもらった。
コイツは恐らく、僕の今後の誕生日全てに絡んでくる男である。
禁煙グッズをプレゼントしてくれた。
使うまでもなく、禁煙できた。
2019年8月28日
初めてのトークライブ。
考えてみればお互い改まってトークなどしたことが無かったが、何とかやり切った。
なかむらはこの日から、スベッたことを「お客さんがブチギレた」と表現するようになった。
2019年9月1日
僕は知らなかったのだが、「普段ネタを書かない方が書いたネタをやるライブ」で、「にゃんにゃん」という異星人がなかむらと漫才をしたらしい。
そこそこウケたらしく、また観たいと言ってくれる方もいらっしゃるようだが、にゃんにゃんは僕がかなりボコボコにした。
当分星から出てこないだろう。
2019年9月26日
肺炎を患った。
原因は恐らく、にゃんにゃんのストレスによるものである。
軽度だったので一週間程度で完治した。
この肺炎がコロナ前で本当によかった。
同日2019年9月26日
相方なかむらがセカンドバトルに急遽ピンで出演。
配信で見届けた。
本当によく頑張ってくれた。
今後もし、なかむらに何かあった時、僕は迷わず休む。休んで映画を3本観る。
だから一人でも出たなかむらはとても偉いし、とても凄いと思った。
体調には気を付けてもらいたい。
2019年9月29日
「芸人フリマ」というイベントで絵を売った。
患った肺をモチーフにしたイラストで、制作過程を動画にもした。
この時は、「絶対にタダでは戻らん」という強いエネルギーで満ち溢れていた。
出品したのはその絵ともう1枚の、計2枚。有難い事に即完だった。
芸人を目指す前の夢が、イラストレーターだった僕は、夢が2つ叶った気がしてかなり嬉しかった。
2019年10月16日
24歳下の弟が産まれた。
三度の出産全て男児だった母(41)のラスト娘チャンスだったが、見事に元気な男の子。
可愛いことに変わりはなし。
間違いなく、去年一番のグッドニュースである。
2019年10月23日
M-1の2回戦終わりに浅草観光。
初めての劇場で完全に浮かれていた僕達は、帰りしな人力車に乗った。
2回戦は無事突破。今思えば、なんとなく通っている自信があったのだろう。そうでないと人力車になど乗れない。
ちなみに次の3回戦で一切の手応えを感じなかったなかむらは、家の近所にある汚い公園で号泣したらしい。
2019年11月17日
大阪からニッポンの社長ケツさんが来ていた。
ZAZYさんと喋っていた。
「撮らないと」と思った。
2019年12月8日
NSCの元同期、加藤が大阪でやっている「BAR舞台袖」に呼んでもらった。
同期の中で誰よりも芸人が好きで、誰よりも芸人を観てきた加藤に呼んでもらえると、一端の芸人として認められた気がして、結構嬉しい。
あと、大阪に帰る理由が出来るので是非定期的にやってもらいたい。
なぁ加藤。頼むよ加藤。
2019年12月19日
キンボシの有宗さんとユニット漫才をした。
この人は本当に面白いおじさんである。
良い意味で、全ての発言に責任感がない。脳を使わずに会話をしている。
「良い意味で」を付けたぐらいでは取り返せていないように見えるが、本当に皮肉でも何でもなく、良い意味で。
だから変な緊張感もなく、安心して胸を借りることが出来た。
本番は制限時間をかなりオーバーして、良い意味で強制終了となった。
2019年12月22日
ラフレクラン西村さんの家でM-1の決勝を観た。
後半、飲み過ぎてトイレに篭った。
一般的にどうなのかは分からないが、吉本興業では、あまり先輩の家でトイレに篭らない方がいい。
それでも一切怒らず、まだ可愛がってくれている。優しい、素敵な先輩である。
「東京ストイッカーズ」とかいう変な組織を作ったりするのが玉に瑕。
2020年1月1日
カウントダウンライブがあったので、劇場で年を越した。
神社は混むので、あり物で鳥居を作って初詣を済ませた。
絶対にそんな訳はないが、心の片隅の片隅の片隅に、「コロナの原因これでは?」がある。
別に神を信じてはいないし、こんな事が原因だなんて烏滸がましいが、来年はちゃんと神社に行こうと思う。
2020年1月8日
お台場でネタ合わせ。
凪に向かい、ボケて、ツッコんだ。
呼応する様に波が起きた。
海が笑った。海にウケた。
「生命の源を笑わせた」という、確実な自信を胸に挑んだこの日のオーディションは落ちた。幻を疑う程に、音も無く落ちた。
2020年1月21日
人生初のディズニー・シー。
大阪の同期ちろると、鈴木バイダン、そしてやはり、福田フェイフェイもいた。
ディズニー大好き芸人福田フェイフェイは、舞浜では絶対にスベらない。
ただ、舞浜を出てからのポンコツさたるや、ディズニーへの風評被害を心配するレベルである。
アイツほど如実に魔法が解けるゲストはいない。
しかし僕はそんなフェイフェイが嫌いではない。
2020年1月26日
フースーヤとのユニットライブ「笑かすマン」
僕を除く3人が、思い付いた事をそのまま口走る病気なので、纏まらない事は予想していたが、それにしても纏まらなかった。
途中、それぞれが好きにボケ過ぎて、ジャズみたいな時間があった。ジャズがどういうものかはあまり分かっていないが。
2020年1月29日
古本とカレーと乗り換えの街、神保町に「神保町よしもと漫才劇場」が出来た。
我々9番街レトロも、オープニングスタッフとして会見に参加させていただいた。
これは完全に自慢でしかないし、そういうつもりで聞いてもらいたいが、僕はこの日、東西両方の漫才劇場に所属した唯一の男になった。
2020年2月29日
ブラゴーリの塚田と、たくろうの赤木を会わせてみた。
どっちも嘘みたいに面白くて、どっちも嘘みたいに良い奴で、ただひたすら、ずっと楽しい空間だった。
それを「会わせてやった目線」で見ている自分が本当にちっぽけで、最高に愛おしかった。
やはり僕は、塚田より赤木より自分が好きである。
2020年3月14日
SUZURIというアプリで作ったグッズを、家族全員で買って着てくれた。
可愛い。
全員に買ってもらいたい。
http://suzuri.jp/kazato_kyogoku
2020年3月24日
コロナの影響で、各劇場が無観客配信モードに入った。
慣れない環境でバグったなかむらが、本来5秒ぐらいのセリフを2分やった。
この2分間ほど、コロナの終息を願ったことはない。
2020年5月20日
「ウチのガヤがすみません!」に出演。
リモートではあるが、初めてのテレビ出演である。しかもCMを跨いだ。
反響もあり、9番街レトロのWikipediaが出来てすぐに削除されたり、なかむらと京極を完全に逆で認識している記事が書かれたり、何よりInstagramのフォロワーが10人増えたりした。
すぐに削除!?
逆で認識!?!?
10人!?!?!?!?!?
2020年6月21日
元相方の管野が芸人を辞めると聞き、いかにも辞める事を決めた芸人が飲んでそうな居酒屋で飲んだ。
大阪時代の話や、2人で上京したあの頃の話などは一秒もせず、そろそろ彼女が欲しいという話に終始した。
東京で働くらしい。
なんでやねん。
2020年7月23日
「ニューヨークのニューラジオ」に出していただいた。
「自粛期間何してた?」はマストで聞かれると踏んでいた僕達は、その返答だけをひたすら考えていた。
一回も聞かれなかった。
結果的に、なかむら右耳鼓膜流れを晒す形になってしまったが、また少し名前が広がったので良かったと思う。
2020年8月5日
なかよしビクトリーズの岡田さんと、パンプキンポテトフライの谷さんと、仲良くなった。
僕がそう感じているだけかもしれないが、この2人とはかなり波長が合う気がする。ニュアンスで会話できる人は楽しい。
岡田さんの部屋には冷蔵庫が3つある。
2020年8月7日
今回も福田フェイフェイが祝ってくれた。安心する。
途中用事で抜けたが、なかむらもいた。
みんなからの誕生日プレゼントはチェス。
自転車かチェスで悩んだ結果、チェスになったらしい。嬉しい。本当に嬉しいが、自転車とチェスで悩むだろうか。
チェスが勝つだろうか。
2020年8月8日
誕生日前日は岡田さんに焼き肉をご馳走になった。
信じられないかもしれないが、岡田さんと会うのはこれで3回目である。
波長が合うとか、そういう次元の話では無い可能性が出てきた。
岡田さんの部屋には冷蔵庫が3つある。
他にも、YouTubeの毎日投稿を始めてみたり、ルームシェアの話が立て続けに流れたり、酒アレルギーを発症したり。色んなことがあり、例年通りなかなか濃ゆい一年であった。
そのせいか、長い時間生きたように錯覚していたが、改めて「25」の数字にしてみるとまだまだ若いなと、少し安心する。
紆余曲折を楽しめるのは、言うまでもなく周りのお陰であり、この仕事を辞めない限りは、これからも人に恵まれ続けるだろう。ありがてぇ。
ということで、25歳の京極風斗もどうぞよしなに。
四字熟語でお礼します。