鎖骨ピアスが排除された。8ヶ月分の膿を吐き出して。一生残る跡をつけて。せいせいしたよ。もう服を脱ぐ時に襟がひっかかるのを気にしなくて良い。シートベルトの斜め掛けが痛くない。

去年11月、仕事でムシャクシャして、思い付きで鎖骨にマディソンを開けた。仕事の都合上、顔ではなく普段隠れる部位にしたかった。せっかくなら推しと同じ場所に同じ痛みを感じたかった。だから鎖骨に、推しとお揃いの銀のバーベルを通した。貧相な鎖骨と対照的な無機物を見るたびに、強くなれた気がした。

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ピアスを初めて開けたのは大学に入った18歳。遅咲き。高校が厳しかったから、憧れはあったけど開けるに至らなかった。中学や高校で開けている子に憧れた。大人に支配されていない、奔放なヤンキーは大人に近い存在だった。自分の体一つ自由にできないことが悔しかった。

ピアスにはほかのアクセサリー以上の魅力がある。体験の共有ができるから。大抵ピアスについて話すとき、ピアス本体よりも穴をあける際の体験が話題に上る。

どれくらいの痛みを伴ったのか?

何を使って開けたのか?

誰が開けたのか?

そのときの心情は?

何がきっかけで?

ピアスを開けるまでに至る感情とか覚悟とかそんなものが聞けるのは、同じ痛みを知っているから。可愛いから開けるのは耳たぶまで。それ以上は嫌なことの裏返しだったり、覚悟だったりがあって開ける。3個以上開いてるやつは大体友達。

そもそも人体に合理的な意味もなく穴をあける行為自体、狂気の沙汰と言わざるを得ない。痛いし跡が残るし。どの部位が痛い痛くない論争は不毛。だからもうしない。どこに開けたって痛いに決まってんだろ、アホなんか。だけど開けるまでに至る体験と感情のために、僕は今日もピアスをつける。


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