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鮒鮨

2022/7/21
大見

先日、大見という場所を訪ねてきました。二年前その京都の奥に美しい場所があると知って以来ようやく。折しも鮒鮨を仕込むという絶妙なタイミング。熟鮓。塩漬けされた鮒を、誰も触れたことのない様な川の水で洗う。大きな羽釜で本物の炎で炊かれたお米を鮒にまぶして樽に漬ける。たったこれだけのことなのに何かとても神聖な食料を作っているような心持ちがする。祈るように大切に洗われる鮒。洗う鮒を流さないように掴む。



大見2.

鮒鮨として仕込む塩漬けの鮒は洗い終えると真っ白になる。鮒というのは黒い。しかしこの塩漬け後に洗われた鮒は真っ白で、黒かった鮒の面影は無い。鱗は殆ど全て取り除かれていて、肌に直接塩が塗り込められている。

その鮒に残る黒い皮や、皮と身の間の澱の様な黒いものを川の水で強く擦り洗って流す。

たくさん水がないと清潔にこの作業を終えられそうになく、この作業をさせてくださった方は川の水だからできる作業と仰っていた。台所でやったら、この仕事の後の片付けにうんざりするに違いない。

川の水が綺麗で、なんの汚染の心配もなく食料を洗えるのはなんと有り難い事かと思う(私は汚い川しか無いところで育った)。

川の水で、束子で皮を剥ぐようにしてごしごしと擦る。すると白い皮の魚に生まれ変わる。

白という色は古代から、食であれ布であれ紙であれ、何時でも神への捧げ物として神聖視されてきたことを思う。厄災を祓う白。浄化する白。潔白な白。死者の纏う白色の着物。死者を送る葬列に並ぶ白い喪服(明治以前は白が主流)。ハレの日の白。多産と豊穣と財産を示す餅の白。何にも染まっていない白。何にでも染まり得る白。黒の対極にある白。

この鮒の黒い皮をこそげ落とす目的は、黒い部分を残すとそれが臭みになるからだそうで、実に実際的な理由なのですが。

白く洗われた鮒は青白く、もう全く生気は失われ、現実感を喪失している。この世のものではないかのように。

鮒の鱗の下に澱むように僅かに溜まる黒色の皮はヘドロであるから臭いのであって、琵琶湖の水が透明だったなら、鮒は皮を落とさなくても臭くなかったのではないか。などという考えが頭を過ぎる。

しかし清流では鮒は育ちそうにないし、元々そういうものなのかもしれないが。流れのない場所で育つ魚とはいえ、水の良し悪しは味に影響するだろう。水の綺麗な琵琶湖の鮒鮨も食べてみたい。


大見3 

並んで干される白い鮒たち。洗う時に見かけた鮒の鱗は硬くて、まるでプラスティックの様だった。綺麗な弧を描く大きくて立派な鱗。鱗も黒い皮膚も削り取られて磨き上げられた鮒は青白くて、塩抜きもいくらかされたせいか少し柔らかくて、生々しさが戻ってきている。

その生々しさをまた殺す様に空に向かって干し上げて乾かす。

干される魚といえば大体の場合海の魚で、これでもかという強い日射しの下で干上がっていく秋刀魚や鯵や、鰯などではなかったかと、海の陽光の下で干されるのとはまた違う、まったく何かが違う感じのする山の風景。涼しげに軒下にぶら下がっている。高原で過ごす魚たちは銀色に光って避暑に来ているかのよう。

伊豆の海を思い出した。子どもの頃は毎夏伊豆の海で過ごした。小さな頃は熱海の宿で、もう少し大きくなってからは水の綺麗な堂ヶ島のあたりで何日か過ごした。綺麗な海を求めて私たちは1時間余計に車を走らせて西伊豆まで行った。

西伊豆に向かうには修禅寺を超え、山越えする。当時クーラーの無い車は暑くて、山中でルートの確認のためにボンネットに大きな地図を広げて道を確認する時間がもっともぐったりした。車は走ると窓から風が入るけど、止まると無風。ジリジリと暑い。

しかし今思うとさほどの暑さでもなかったかもしれない。だっていまクーラーの無い車になんて1分たりとも乗っていられない。

峠を超えると、生茂る夏草の向こうに信じがたいほどの透明な、トパーズの様な海が広がっていた。あの青い水を見るとどうして飛び込みたくなるんだろう。瞳孔がどっと開くのを感じる。

私と弟は泳ぎが得意で、日がな一日飽きもせず潜っては浮かんでをくりかえした。母は海が好きなのに泳ぎは駄目で、岸から心配そうに私達を眺めていた(プール育ちなので距離を泳げても沖まで行く度胸はない)。

潜った場所を浮かんでくるまでじいっと眺めているけれど、潜ったところからは一向に現れなくて、まったく違う場所からぽこんと現れるのでいちいち心臓に悪いと笑っていた。

海に浮かべたタータンチェック柄の四角い浮き輪で昼寝をするのが好きだった。足首をサメに齧られる心配をしながら目を瞑る。うっかりすると少々流される。

家族と海で数日過ごし、親戚と数日過ごす。或いは夏中親戚の家で過ごしたシーズンもあって遊んでばかりいた。本を読んでいるか、蝉を採るか貝を拾うか、昼寝をするか。選択肢が少ない。

道端でのんびり風干される魚達(今は巨大な扇風機で干されているだろう)。人間ものんびり過ごしていた夏。いまはなんて忙しいんだろう。そして狂ったように暑い。暑くて死にそう...と思っているうちに夏が終わる。季節を楽しむというより、脅威に慄くことの方が多くなった。

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