幸せの尺度

寝不足をなんとか挽回しようとなにもしないと決めて寝た夜
寝具をできるだけ快適に寝られるよう工夫したものの、
体が十分休まらないまま朝を迎える

日光が照りつける中、
たった3〜5kg程度のじゃがいもを 庭から収穫するだけで
熱中症になってしまい
昼間ずっと寝ていたものの回復せず
クーラーに当たった身体の冷えと
脱水を防ぐために水分を摂りすぎたのか消化不良でときどき
こみ上げそうになり、
なにしろ頭が痛くて痛くて、冷えピタを額に貼る。
毎日飲んでいたコーヒーを一杯も飲んでいないから
カフェインの離脱症状かと思い、コーヒーを軽く一杯飲んで
梅干しも食べた
そんなことをしながら、
父の古い取引先から届いたへぎそばを茹でて、みんなで食べた
いつのまにか頭痛や吐き気はおさまり、
心のこもったへぎそばの贈り物についていた
丁寧な薬味をつゆにいれて 美味しそうに嬉しそうに食べている
家族をみて、
ああ、幸せってこういうことかなあ、と思う。

先日、占星学の授業の一貫で、自分の出生図と経過図の流れをみて、
なんという過酷な時間を通り過ぎてきたんだろうと思った。
容赦ない ハードアスペクトが コンプリートと言われるほどの
図を示した時がいつだったか
それでも私は生きている、なんでなんでしょうかね、
と先生に聞いたら、

きっとこの金星が

教えてくれた

もしかしたら、手触りのいいもの、感覚的なもの
たとえばペット、動物との触れ合いや、
食べ物を食べるだとか。
そういうことが 心の助けになったかもしれないと

そういうことがあるんだと
思った。

食べて、なんとか心を救う
動物を撫でて なんとか心を救う
無意識にとった行動で
なんとか生き延びてきたのかもしれない。

これまで乗り越えてきたことは
人からみれば それほどではなくても
こうして 経過図で見るにつけ、
星の影響というものは、いったいなんなのか
ふしぎにおもう。
心だけに働きかけているのかというと
そうでもない。
周りのひととの関係性に現れてくるのだから。
状況が変わるのだから。

ただ、自分がこの期間にずっと
ずっと「不幸せだ」と思っていたかというと

自分は、恵まれている
こんなに恵まれているのに、なぜ
こんなに、辛く感じるのかと
自分を責め続けていたと思う

動物に依存したり 食べ物に依存したりして
自分はなぜこんなに弱いのか、と思った
それは、身近な人たちがもっと 過酷な人生をあるいてきた
話をいくつも知っているから
自分ぐらいのことは、大したことがないと思ってきた。

でも、そうじゃない
その人、それぞれにとっての人生の辛さや
幸せさえも
他の人からはかることはできないと思った。

たとえ、何十億も手に入ったからといって
使いこなせないで 奪われる恐怖で縮み上がった生活を送るかもしれないし
お金がなくても、家族との別れさえも、ありがたいありがたいと
一つ一つの出来事を味わいながら素敵に生きている人もいる。

凶星と言われる星が 強い力を発揮している
自分の出生図から
外から推し量れる不幸の量はどんなだろうか
それでも、自分は 時々の幸せを味わい
自分は恵まれているのだと思いながら生きてきた。

一生とは、その宿命を
自分が選んで生きていくのだと思う
それを生きて、天に帰る時に
自分は、たくさんの感情を感じて感じて、感じ切り、
その 記憶や思いを 天に返す
そのために生まれてきたのだから、
私が味わった苦しみや楽しみは、一つ一つが、それぞれが、意味があり、
それ(ハードアスペクトだらけの出生図・経過図)さえも
与えられた恵なのだと

そう思いながら、
一つ一つ味わいながら 生きていきたいと
頭が痛くなくなってハッピーな気分で、今は思う。

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