タイガーマスクくらいにしておけ

先日、家に来たセラピストがコロナに罹ったとかで、
職場長という偉い人から電話があった
「その後、体調の変化はございませんでしょうか」
「なんともありません」
「そうですか。本人(コロナに罹った)も『マスク』をしていたので、感染リスクは低いということで。よかったです」

この話を聴きながら、
「ああ、医療従事者のマスクはこれではなかなか外せないなあ。マスク効果あったじゃんて(思考パターンの強化)」

家にいる虚弱老人2人(80代)と、私(肥満体)は 一回もしていない。
一方、家に来ている医療従事者や介護関係者で家に来た後すぐに感染が発覚した人は今回で4人目だ。
虚弱老人 1人は、なんと「コロナ病床」のあるフロアに「肺炎」で入院して、感染せず戻ってきた。
もちろん、今まで家のメンバーはだれも罹ったことがないし、
医療従事者および介護関係者の方が来ようと、誰が来ようとノーマスクで至近距離で接している。それは枠接種済み者であろうが、なかろうが差別なくである。

なにしろ、未だみなさんマスクやらゴーグルやらを外さない。
それでいて、「感染」は続いている。

私もマスク欠乏症の頃は、「くっそうマスク売ってねえ、転売屋のせいだ。転売屋は殺人者だ」と恨みを抱いていた。そして、マスクは新しい不織布でないと効果がない、洗ったら効果がなくなる」という松本先生(よくでてくる先生ね)の言葉に逆らって、マスクは洗って干して使っていた。そのころはまだウィルスの存在を信じていたのだが、
調べてみて理論的に(自分なりに)考えて
気をつければ大丈夫だという確信があったからだ。

今、こうして見回してみると、誰か権威の言ったことに従う人、自分で調べて考えた結果、自分で判断して具体的に行動してみせる という人は 本当にごくわずかなんだなと思う。いや、知っていても仕組み上、しらないフリをするという別の意味で頭の良い人だらけなのかもしれない。

でも、
最近口腔癌が増えているという話もあって

なぜ執拗に日本人やら韓国人だけがマスクを外せない状況になっているのか、考えると恐ろしい。

この話とは別に、2月かそこらの頃
街角ピアノ

というえぬえちけいの番組をふとみていて、
昨年の1月ごろの映像だと思われるのだが、
もうすでにイギリスではノーマスクなのに愕然としたのだった。

一年後も未だマスクを外せず、周りの様子をみる国日本。

先日、韓国で「従軍慰安婦は嘘でした」ということを命がけで発信してくれた人がいるという話をみた。

及川さん、心なしか泣いてる?

韓国の人が総勢で「従軍慰安婦のことではずっと日本を憎み続ける」
という空気の中
「それは事実とは違う」ということの勇気は並大抵のことではない。

日本でも「マスクは正しい」という空気の中
「いんやマスクはどっちかというとよくないですよ」という姿勢を示すのも、なかなか勇気がいるのだろうけど。。

要するに
「これが正しい」だとか「あれが間違っている」だとか
そういう
「常識」というものに縛られることで

本来のものが見えなくなり、
本来のものを肯定したり、表現することが「危険」になってしまうという


強い思い、強く思い込むこと、正しい、間違っている
そのことが、こんなに大きな障害になるということを見せつけられた気がする。

なにかを「・・は ・・・である」と
正解が「これだ」と示された時に
「正解でなければならない」と強制されたわけではないけど
「正解でなかったときの恐れ」を、つよく『しつけ』られたとき

黒を 赤という勇気をもつ
白を 黒 という勇気をもつのは
なかなか大変だ。

虎の穴に入る
 タイガーマスクのようになるのは難しい。

タイガーマスクも 外さずに、ずっと生き続けるのは大変だから
いずれは 外すのにね。

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