お金宗教
架空の國ニポンでは、あらゆることが、すべてお金にならないといけなかった。
生まれてくる時も
成長して学校にいくときも
病気になるときも
なにからなにまでお金に換算され、最大限に儲けることが善とされた。
人々は、年寄りになると施設におくられる
介護は専門家にまかせるべきだし、
一般のひとは、介護をして「地獄をあじわってはいけない」と、
家族の介護は地獄だと決めつけてまるでそれをやることが「悪」であるかのようになっていた。
「旅行にいったり」「仕事や趣味で自己実現をしたり」
「仕事で人の役に立って、ローンをはらい、税金を払うために身体をつかうのが当たり前」で
「からだが動かなくなった役に立たない人間を世話することは無駄なことなので、そういうことは専門家にまかせて、とにかく働くのが善」
「親の死に目に会えないのが、仕事人のホコリ」
「自分の家族や 親のことなどは後回しにして、社会貢献するのが善」
「朝から夜中まで働いて働いても生活がカツカツなのだけれど、それに耐えるのが善」
となっており、
人々は、家族の面倒よりも仕事に勤しみ、趣味や友人関係での活動にいそしみ、自己実現して旅行にも行くのが当たり前なので、
お金を稼げないお年寄りは、まとめて面倒をみてくれる専門家に任せるのが善だと思っている。
そして、お年寄りの人体は、施設というところにつれていかれて
そこでお金を生み出す資源になる。
薬をのめば、薬屋さんがもうかり、
介護をすれば それにつながるお金儲けになるのだ。
ゆめゆめ、家族が介護に携わる余裕などもたせるべきではなく
施設をいくつも持つ政治家や、そこからの収益から税金が生まれ、
どこまでも どこかへ循環していくのが善とされた。
決して、家で、家族が面倒をみることが出来ないように
働き 働き 働き、それでも暮らせず、貯蓄が出来ないように
設計された制度で、
みんな、自分の家族の名前も顔も忘れた。
というより
顔本とか、インスタントグラムという 人々の交流場のことで頭がいっぱいになり、そこの広告に翻弄されていることの方が心地よく
自分の好きなことをやるのが善とされ
そういう空気にのって、自分の好きなことをやっている人から褒められ
あがめたてまつられるのを 全部の人が夢見るように
世界は設計されていた。
子育てをしているフリをして褒められたり
仕事を忙しくしているフリをして褒められたり
家事を効率よくやっているフリをして褒められたり
趣味をして自己実現しているフリをして褒められることに
みんな血道をあげた
とにかく、褒められたい
と
みんな思っていた。
お金を儲けるのが善とされたら
お金を儲けたいとおもった
それは全部 褒められるためだ。
誰もが 自信がなかった
誰かに 褒められないと、いけないと思っていた
誰かが 評価しないと 自分はいけないと思っていた。
一人も 自分がうまれたままの自分では
自信をもってはいけないと おもいこんでいる
それが、
この架空の國 ニポンの姿だった。
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