僕はそんなことをしに東大に来たのではない。

昼に「朝ドラ」を見ている。
題名はいま思い浮かばない。とにかく草花を研究する牧野という実在する人物の出てくるドラマだ。

毎回ではないが、とても面白いなと思いながらみている。
こないだは
要潤さんが演じる 教授みたいな偉い人が
牧野という人を演じる神木隆之介さんに
「わたしのものになりなさい」
と言っている怪しい場面が印象にのこった。

それは、本当に怪しいという意味ではなくて、
大学などではよくある話のようなのだが
どなたか けんいのある先生が
弟子だとか、人の研究結果を 横取りして自分の手柄にしてしまうなんてことは よくあることらしい。
要潤さんの演じる 教授は、神木隆之介さん演じる「牧野」に対して
おまえの才能は優れているが、その立場では発表できないだろうから
発表の機会を与えてやろう、だが、私の名前において、だ。と
宣言している そんな場面なのだった。
人の研究だとか 努力した結果を 横取りするぞと 高らかに宣言するみたいな、そういう場面を 要潤さんは、とても素晴らしい演技力で
美しく演じていた。 いやな役だけど、それを とても丁寧に演じていた。
素晴らしい俳優さんだなあと思った。

対する「牧野」は、
当たり前のように「いんや、それは やらないっす」と
極めて明るく、当然スルーして、違う方向を模索し始める。
今、印刷所を 自宅につくって 初の書籍をつくるために 行動を開始する、というところまで 見た。


人の手柄を とって「俺の手柄だ」と言うのは、
事情を知ると
恥ずかしくないのかね、と なるんだけど
そういう 横取りをされたり したりするのが、
あのような世界では 当たり前であり、人の成果を横取りして
胸をはり、どうだ、俺は偉いんだぞ、と人から褒められて、本当に自分が偉くなった気になれるのは、すごいことだなあと思う。

もう一つ、印象にのこったシーンがあった。

主人公「牧野」が嬉々として 標本を作って調べ物をしているのと 対照的に
学生は「おれたちは、こんなことをしに ここに学びに来ているわけではない」と
「これは牧野さんにまかせて 僕らは予習があるから」と
立ち去ろうとするのだ。

なにを勉強にきているんだろうか、と思うのだが
「成績をあげて、褒められるため」
「成績をあげて、いい立場になるため」と思っていたら
標本を 紙に貼り付ける 作業など 無駄と思うのかもしれない。

そこには植物のことを学びたいという、
本来、そこにいるのは 植物のことを学ぶため という
目的よりも
「名誉を得るため」という
目的がある。

植物を学ぶための作業は、無駄だが
テストに受かるための勉強は 有意義だと言っているのだ。

既存の教科書のなかの テストに出るとこだけ
学んで、テストさえ いい成績だったら
それでいい。それが目的だから。テストがよければ褒められ、いい職業につけ、いい身分になれる。それが目的だから。
学ぶのは いい身分になって威張るための 便宜的なもので

目的は テストに受かって 威張りたいから。

でも、テストに受かったところで、
自分でなにかを学んで なにかを切り開くという楽しみはそこにはなく
空疎な「空いばり」で「空の勲章」を自慢するという世界が
そこに転がっている。 
それでもいいのだ。あの人が、やってるから。そういう生き方でいいのだ。
それで、みんなチヤホヤしあって、自分もチヤホヤされたいのだ。

時々 いろんなことが「なんのために」と思うことがある。

食うためには
いい暮らしをするには

考えたら、
それも現実的な選択かもしれない

もし 
自分が 
そういう学生に教える立場だったら
どんなことを言うだろうか。

人のせいかを横取りしてでも、
内容がなくても
名誉らしき 肩書きを身につけて、
食っていけよというのが、 大学の真の 目的なのか

それとも

私は大学に行ったことはないから

まあ
どうでもいいけどさ

でも
そういう
空っからの 
名誉だけの人が「せんもんくわ」と称して

いろいろと 一般の人を見下して
生活を制限してくるのだったら、

いやだわねえ と思います。

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