ボケカス健康法

 人は気に食わないことに文句をつけたくなる生き物だ。だが、まともな人、良い人、面白い人、etc…としての面子を保ちながら文句を言うのは大変だ。嫌悪感や憤りを脊髄反射的に発信すると、周りから嫌な奴、おこりん坊、つまんない奴と思われてしまう。ひとつ野次を飛ばせば溜飲が下がる程度のことでも、「バカタレ」とか「アホぼけ」とだけ投稿しては格好がつかない。SNSでは特に。だから、わざわざ時間を使って意見の正当性を担保したり、説得力を持たせたり、なんか上手いこと言おうとしたりする。

 善良なる多数派の人々が、些細な不快感の発表にブランディングコストを割くようになった結果、ひとたび衆目に晒されたやらかしはあらゆる視点から一理あるご意見を頂戴することとなった。

 思想や立場に基づいた積極的な意見発信や、いっそ悪意ある攻撃ならまあ良い。たまにちょっとどうかとは思うけど、本人の意思でやってることなら部外者が口を挟むことではない。だが、普通の人達が、無自覚なまま、ただ普通であり続けるために握る石を選び、ときにわざわざ研ぎ澄ました上で一斉投石に加担している構図はなかなかにエグみが深い。いや、私たちは悪くない。概ね仕組みが悪い。ほっといても日々なんか話題が流れてくるし。自分の意見を言うのは良いことじゃん。てかウチら別に攻撃するつもりとかないし、考えすぎじゃない?

考えすぎかも。

 でも、脳内で野次飛ばして済む程度の気に食わなさならそれで済ました方が健康的じゃないすか。みんなも好きでしょ、健康。ねえ。特に自論を持ち合わせていたわけでもない話題に反応して、2〜3分かけて他の誰かがもう言ってるようなこと出力するくらいなら、その時間で飽きてるソシャゲのログボでも貰いに行くほうがまだ生産的じゃないすか。流石に言い過ぎか。言い過ぎました。大変失礼いたしました。

 つーか、もう少し視野を狭めると、友人関係とか個々のコミュニティにおいて、許容される/されないラインを間接的に擦り合わせられるのは普通に良いことかもしらんね。あの人が言ってたから、で受け入れられていく価値観や良識は確かにある。

 ということで、結論としては、いっぺん脳内で「ボケカス!」と喝破してみて、やっぱまだムムッとなることに関しては意見発信するようにすると、比較的健康に良くコミュニティの健全性にも寄与できる、というのが私の主張となります。

ご清聴いただき誠にありがとうございました。

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