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断髪小説 さようならツインテール

※この話は「節約」の続編です。まだお読みでない方はぜひ。

9月になった。
まだ気温が35℃を超える日は続き、クーラーは一日中つけっぱなしだ。
冬の寒さは服を着込めば凌げるが、夏はそうはいかない。
しかもモノの値段は今も上がり続けている。

とはいえ、私たちはまあ楽しく暮らしている。
半年くらい前、ユイは節約のためと言われて奇抜な剃り上げヘアにされた。
意外なことに彼氏やデザイナー仲間の間でウケがよかったらしく、今では刈り上げ部分が伸びると、ちょくちょくヒナさんにメンテナンスをさせている。
タダという条件でこの髪型にしたんだから、ちゃんとケアをしてと言わんばかりの態度。その辺りはガメつい。

ちなみに私はその時、頬くらいの長さのショートボブにされ、市販のブリーチ剤で髪を明るく染めてもらった。その後は何度か髪を染め直してもらっているけど、カットは毛先をそろえるくらいにしてもらっている。
髪も伸びて、後ろで結べるようになった。やっぱり結べた方がいい。

あと、ゴールデンウィーク明けにもう一人ルームメイトが加わった。
マリナというヒナさんの美容室の後輩だ。
荷物置き場にしていた5畳ほどの和室に住んでいる。
人数が増えた分、家賃や電気代は安くなった。
それにマリナはリビングや洗面所などの共有スペースの片付けをすすんでしてくれるからありがたい。
彼女はよくリビングでカット用の生首みたいなマネキンを使いカットやパーマの練習をやっている。若いのに真面目だなぁ…って、そんなに年も離れていないのについ思ってしまう。

マリナは腰に届くくらい長くて綺麗な髪の持ち主だ。
その髪を毎朝時間をかけてツインテールや三つ編み、頭の上でお団子にと、いろいろなヘアアレンジをしてSNSに投稿している。
若い美容師って、練習のためにお互いがカットし合ってとんでもない髪型の人が多いイメージだったのだけど、彼女の場合はカットの練習はマネキンか学生の頃の友だちに頼んでいて、スーパーロングヘアを維持しているようだ。

そして彼女曰く「前髪が命」らしい。
眉ギリギリのラインで寸分の狂いなくパッツンになるよう、毎日のように鏡を見ながら小さなハサミを使って手入れをしている。

そんなだから当然だけどシャンプーやドライヤーとかで水道代や電気代を人一倍使っているはずだ。
だけど、私もユイも水道代や電気代の節約のために髪を切れなんて言わない。
ヒナさんさえかわいい後輩にそんな押し付けがましいことは言わなかった。
まあ、それが当たり前なのだが…。

8月最後の火曜日のこと。
お昼が過ぎた頃、私は作業がひと区切りしたのでコーヒーを飲もうとリビングに行った。
いつものようにマリナがリビングでマネキン相手にカットの練習をしている。
今日は店の定休日。使い込まれたマネキンは、ほぼ丸坊主の状態でかわいそうな姿になっていた。

「すみません。ここ使うならすぐに片付けて掃除機かけます」
「大丈夫よ。私コーヒー淹れにきただけだから。マリナちゃんも飲む?」
「ありがとうございます」

マリナは今日も耳の上あたりでツインテールにしている。
大人の女性がやると、一歩間違えればかなりの確率で痛い女に見える髪型だ。
だけど彼女の場合はすごく似合っていてお人形さんみたいに可愛い。

私はユイの分もコーヒーを淹れてあげて起こしにいく。
ユイは締め切りに追われて夜中まで仕事をしていたらしくまだ寝ていた。
スッピン顔のラフな格好でリビングに出てきたユイは部屋の隅にどけてある椅子にちょこんと座って美味しそうにコーヒーを飲み始めた。

「マリちゃんは休みの日も真面目だねぇ。マネキンの髪もこんなに短くなっちゃって。それいつもそれどうしてるの?」と話しかける。
「マネキンはここで捨てると騒ぎになるから店で捨ててますよ。このマネキンもバズカットにしたから捨てなきゃいけないですね」と笑いながら答える。
そりゃそうだな。半透明のゴミ袋からこれが覗いてたらビビるとおもう。

「そうだ。マリちゃんさぁ。私の髪切ってくれない?先週からヒナに言ってるんだけど忙しくて全然切ってもらえないんだ」

「えっいいんですか?」

ヒナさんは店の中でポジションが上がって最近いろいろ忙しく、今日も休みなのに朝から出かけている。

マネキンがどかされてユイのカットが始まる。
マリナはユイの髪を頭の上で留めながら、サイドと後ろ頭をバリカンとシェーバーで綺麗に剃り上げた後、髪を下ろして耳の上あたりの長さで丁寧に切り揃えていく。
ヒナさんの仕上がりとは少し違う感じけど、なかなか上手だ。
ユイも「ちょっと雰囲気が変わったけど、これもいいじゃん」と満足げだ。
「サンキュー」とうれしそうにお礼をいうと、自分で片付けもせずにさっさとシャワーを浴びに行った。

それから1時間くらい経った。
「ただいまー」
ヒナさんがちょっと疲れた顔をして帰ってきた。
たぶんスタッフが練習でヒナさんの髪を切ったんだろう。
ヒナさんの髪は朝より短く、薄いピンクの髪色になっていた。
今日の夕食は私がカレーライスを作ることになっている。
食材はあるからそろそろ料理に取り掛からないといけない。
リビングにはマリナとユイもいた。

「おーヒナ。お帰りー」
髪を切ってもらって上機嫌のユイがヒナさんに話かけた。
だけどその瞬間、ヒナさんの顔がキッと急に厳しくなった。

「えっ…何?怖いんだけど」

なんだかとても嫌な予感がする。

「ユイ。その頭、誰がやったの?」
「ああ。マリちゃんに頼んだらやってくれたんだ。どうかした?」

「ふざけないで!」
ヒナさんは大声でユイに怒鳴った。
声を荒げて怒るなんてヒナさんらしくない。
えっなんでだろうと驚いていると
今度はマリナの方に顔を向けて

「マリナ!人の客に勝手に手を出したらただじゃ済まないって教えたでしょ!」

と怒鳴った。
こんなに怒るってそんなに重大な禁忌を犯したのかなぁ。
マリナは真っ青な顔をして「すみません」と頭を下げ続けた。
ツインテールが左右に垂れ下がり、後ろ頭の白い分け目がくっきり見える。

「確かにユイの髪はタダで切ってあげてるけど私のお客さんなのよ。わかってるでしょ!なんで断りもなく勝手にやったのよ。髪型だって全然違っちゃってるじゃないの」

マリナは反論できないでいる。

「あなたは店でもまだカットを任されていないでしょ。半人前なのにこんな雑なカットをするなんて最低よ。あんたにはわかんないけど、ユイの髪はバランスとりながら限界まで短くするように相当手をかけてるのよ」
そうなんだ。そこまでのこだわりがあったなんてユイでさえ知らなかったはずだ。

叱責はさらに続く
「あと前から言いたかったんだけど、あなたいつまで自分の髪を人に切らせないでいるつもりなの?」

ここで初めてマリナはヒナさんに対して「だって…」と言いかけて口をつぐんだ。

「あなただけいつまでも特別ってわけにいかないでしょ。他のスタッフも私も上手くなるためにお互いの髪をカットさせてるの。今日もみんなで自主練してるのに、あなたはマネキン相手に一人でやってるだけでしょ。そんなんでうまくなるわけないわよ」
マリナは痛いところをつかれたのか黙ってしまった。

「ちょうどいい頃合いだわ。これからユイの代わりにマリナが私のカットモデルになってちょうだい。いいわね」

「えっ。。。。」

とんでもない事になった。

「今からここでカットするわよ。今日はユイのカットをしようと思って、道具を全部持って帰ってきてるの」

マリナは泣きそうな表情で「わかりました」と答えた

「ここでカットが終わったらお店に戻ってカラーをしてあげるわ。まだスタッフの子がいるはずだし。」

ヒナさんはその場でお店に電話をかけ始めた。

「もしもし。いったん帰ったんだけど、カラーだけお店でしたいんだけど大丈夫かしら?うん。カットはこっちでする。うん。今から1時間したら連れて行くから。うん。ごめんね。」

手短に電話を終えると、ヒナさんは
「ごめん。すぐカットをしたいから、ここ片付けて」と私たちに言った。

ユイのカットを何度もしてるから準備は慣れたものだ。
テキパキとフローリングの上にシートを敷いて椅子を置き、大きい鏡を椅子の前に置いて、あっという間に準備完了。
ヒナさんはバッグからカットの道具を次々と取り出して準備をしている。

お膳立てができるまで、ただ呆然と立ち尽くすマリナにヒナさんは

「他の店のスタッフも来ているから早くここに座って!」と椅子に座ることを促した。
すぐにマリナの細い首に白いカットクロスが被せられる。
長いツインテールは、ほどかれずにケープの上に垂れたまま。
ヒナさんが準備している間、マリナは膝に手を置いてしばらく鏡をボーっと眺めていたが、髪を切る覚悟を決めたのかクロスから手を出して耳の上あたりでまとめているヘアゴムを外そうとした。

と、その時

「それ外さないでいいから」とヒナさんが言った。

「なんでですか?」

「散らかっちゃうし、髪は根本から切っちゃうから」

「へっ?」

マリナは不思議な声をあげた。

「マリナにはバズカットになってもらうわ」

ヒナさんからとんでもない提案がされた。
こんな綺麗に伸ばしている後輩の髪をいきなりバズカットにするのか。
ユイは「オー。いいねえ。マリちゃんはバズカットも似合いそう!」と勝手に盛り上がってスマホを手に持った。
マリナは部屋の隅に移動したマネキンに目をやっている。まさか自分があのような髪型にされるなんて想像してなかったはずだ。

マリナは「バズカットですか…やだなぁ…」と意気消沈した。
だけど勝手にユイの髪を勝手に切った罰を受けなきゃいけないと思っているんだろう。
それ以上は何も言わなかった。

ヒナさんがバリカンを手に取って、アタッチメントを外してスイッチを入れた。

カチッ プーーーン

いつもユイの髪を刈っているバリカンなのに今日は不気味に見える。

「えっ。ちょっと…」まだ心の準備ができてないマリナはヒナさんの方を向いた。

「大丈夫よ。変な髪型にはしないから。完璧に仕上げていくからちゃんとやり方を見てなさい」と言いながら、ヒナさんはマリナの左側のツインテールのゴムを少しだけずらした後、バリカンを髪の根本辺りに食い込ませた。

ジャリジャリジャリ… ジャリジャリジャリ…

まるで木の枝にチェンソーが入っていくように髪の束が徐々に切り離され、持ち上がっていた耳の周りの髪が耳を半分くらい隠すように落ちていく。
ジャリジャリジャリ…ジャリジャリジャリ…
ほんの僅かな時間でツインテールの切断作業が終わり、何十センチもある長い髪束が彼女の頭からヒナさんの手中に収まった。

「いやっいやっ」
片方の髪を失ったマリナは鏡を見て取り乱している。
ヒナさんは髪束を彼女に手渡して、もう一つのツインテールを手に取って切断に取り掛かった。

ジャリジャリジャリ…ジャリジャリジャリ…
さっきと同じ作業が繰り返されて、あっという間にマリナは見るも無惨な頭になった。

「どうしよう…これ」
耳の上のあたりを手で触って確かめているけど、たぶんそのあたりの髪はもう2、3センチしか残されていない。
他の部分はもう少し長く残っていても、ベリーショート以下の髪型が確定してしまっている。

「髪、汚れないように持っておくね」
スマホで一部始終を撮影しているユイがマリナから2本の髪束を受け取った。
念入りにケアをしていて、ヘアアイロンで真っ直ぐにいた髪は両手で抱くように手に取らないと垂れ落ちてしまうほど長い。

「あーマリちゃんの髪って本当にキレイだ」とユイは言った。
だけどその髪はもう切り離されてしまっているから、彼女にとっては過去形だ。
褒められても全然嬉しくないどころか哀しくなっちゃうだろう。
マリナは涙目で髪束を見つめている。

もちろんこれで終わらない。
ヒナさんはバリカンにアタッチメントを付け直して、カチャカチャと長さの調整をしながら戻ってきた。

「とりあえずこれから全部12ミリで刈っていくわ」
許可をとるというよりも、とりあえず言いました的な強引なやり方だ。
マリナは「はい」とも「イヤ」とも言えない状態だ。

再びバリカンにスイッチが入り、ヒナさんは左手に持っている櫛でマリナの前髪を持ち上げた。

ジジジジジジ… ジジジジジジ…
無慈悲な音と共に、命だと言うほどこだわっていた前髪が根本から刈り落とされて、バサバサとクロスの上に落ちていく。
今まで誰にも見せたがらなかったオデコが丸出しになっていく。
「もう…イヤ…」
恥ずかしいのか悔しいのか、彼女は呟いた。

トップの髪がどんどん刈られて、耳の周りの髪も全て刈りとられていく。
ツインテールにしていた場所の分け目がうっすらと残る長めの坊主頭が出来上がっていく。やがてうなじからバリカンが入り、マリナは美少年のような風貌へと変わる。

「頭の形もいいし、かわいいわよ」
バリカンを頭に滑らせながら、ヒナさんはマリナの頭を撫でた。
マリナは涙目になっていたけど大泣きせず、鏡に映っている変わり果てた頭をじっと見ている。

長い髪がなくなった後もバリカンは何度もマリナの頭の上を縦横に走り、短い髪がパラパラと落ちていく。
全体が12ミリで丁寧に刈りそろえられたあと、ヒナさんはバリカンとハサミを交互に使いながら全体のシルエットをカッコよく整えていく。
シャキシャキシャキ…シャキシャキシャキ…ハサミは確かに動いているけど、本当に髪が切られているの?と思うくらい、ミリ単位のカットをヒナさんは真剣な表情で進めていく。

サイドと後ろは地肌が少し見えるくらいまで短くなったけど、丸い頭のラインとか露わになった首筋から妖艶な色気が漂ってきて不思議な感じだ。

いつのまにかマリナはヒナさんのカットをじっと見つめて、技術を見て盗もうとしている。
ヒナさんも時々「ここのハサミの使い方は…」とか「頭の形が…」などマリナに説明をしながらハサミを動かしている。

最後にトリマーでうなじや耳周りの産毛が剃りあげられてカットが終了した。
マリナはさっき自分が練習台にしていたマネキンよりも髪を短くされてしまった。

「頭はお店で流してあげるから、Tシャツだけ着替えたらすぐに店に出かけるわよ。」
ヒナさんはマリナに断髪の悲しみにくれる時間を与えなかった。
マリナは立ち上がって、バズカットにされた頭を残念そうに撫でながら、部屋に戻って行く。
「そのマネキンも捨てるなら一緒に持って行くよ。明日ゴミ出す日だから」
ヒナさんはマネキンをマリナに持たせた。
バズカットのマネキンをバズカットにされたばかりのマリナが抱えているのはかわいそうな感じがした。

「ゴメン。後片付けは2人にお願いするわ。急ぐからごめんね。」
ヒナさんはベースボールキャップを被ったマリナを連れて急いでお店に戻っていった。

数時間後…
リビングを片付けて、カレーが出来上がったころ、ヒナさんとマリナが帰ってきた。
マリナは夕陽のような茜色のバズカットにされていた。

「おー。マリちゃん。すごくキレイだよー」ユイはマリナに近づいて頭を触らせてもらっている。
私もマリナに「カッコいいねー。髪短くても似合う似合う」と頭を触らせてもらった。
女性の坊主頭なんて触るのは初めてだ。
ザラザラしてるのかなぁと思ってたけど、意外にしっとりして不思議な手触りだ。

私は切り落とされてそのままになっていた2本のツインテールの束を返してあげた。
この髪はほんの数時間前にはマリナの頭にくっついていたのだけど、茜色のバズカットになった彼女のものだとはもう信じられない。

マリナは少しおどけてツインテールのあった位置に両手で髪をくっつけるような素ぶりを見せた。
当たり前だけども髪はくっつくことはない。

「あーもう全然雰囲気が違っちゃってますよねー」

彼女は笑っているけど心の中で泣いている。
「この髪、もういらないし寄付しようかなぁ」
手元に置いていてもきっと辛いだけなんだろう。マリナは髪束を持って部屋に入っていった。

「荷物置いて着替えたらみんな一緒に夕ご飯食べよ」
私は彼女にそう声をかけて、カレーライスをお皿に盛って待っていたけど、結局食卓に現れなかった。

次の日。
マリナは朝早く起きてシャワーを浴びた後、仕事に出かけて行ったようだ。
私のLINEに「せっかくカレーを作ってもらっていたのにすみません。朝いただきました。」とメッセージが入っていたから「別にいいよ。お仕事頑張ってね」と返信をしておいた。

それからというものマリナは頻繁にカラーを変えながら、バズカットを維持している。
可愛らしいお人形さんのようなツインテールの印象はすっかり消えてしまったけど、今の髪型の方が合っているんじゃないかと思うくらい、明るく素敵になった。

髪型は人を変える。素敵になったマリナを見て私も変わろうかなと思う今日この頃だ。

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