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断髪小説 断髪の連鎖 (前編)

1)土曜日の衝撃
土曜日の午後は近くの陸上競技場で練習することができる。
中学校の陸上部顧問をしているオレは生徒を連れてグランドに着いた。
秋になるとうちの陸上部は男女全員が駅伝やロードレースを走ることにしている。
昔は学校の周りの道を走っていて練習していたみたいだが、今は自由に走れなくなったのでグランドを借りられる日はそこまで行って走り込むことになっている。

1時になるまで男子がふざけてバカなことをしないかを気にしながら、一緒にグランドを使うことになっている黒神女子高校(通称:黒女)の陸上部の到着を待つ。
実は今日グランドは黒女の駅伝部の名前で借りている。
近所どうしでお互いどちらかがグランドを借りられた時には一緒に利用することにしているのだ。

オレは密かに黒女の駅伝部の顧問をしているミネ先生に好意を寄せている。
ミネ先生は体育の教師で自分より2歳年上だ。
市民ランナーとしては今も現役みたいで、長い髪を後ろに束ねて生徒と一緒に走る姿は健康的だ。美人で話も面白い。
秋以降は部員全員が長距離を走ることになるので、接点も増えて正直うれしい。
正直言うと部活以外でも会って話をしたいのだけど、きっと彼氏もいるだろうし、何よりお互い生徒が近くにいては気軽に声なんてかけられない。

ところで先週の日曜日は高校駅伝の県予選があった。
黒女の駅伝部は昔から県内の強豪校で、全国大会にも何度も出場していて、ここ数年は3位前後をキープしている。
今年も有力候補として注目されていたが、残念ながら5位だった。
うちの部のOBのミラも2年生で黒女の選手として走った。
オレも応援に行ったが、結果は振るわず4人に抜かれてしまい、走り終えた彼女は悔し泣きしていた。

時間は過ぎていき、1時になっても黒女の生徒たちが来なかったので、オレは生徒を連れて先にグランドに入ってストレッチを始めた。この前の大会で3年生が引退したからバタバタしてるのかもしれない。

15分くらい経っただろうか。ようやく紫のジャージを着た黒女の部員たちが「こんにちはー」と大きなあいさつをしながら姿を現した。

えっ…?

その姿を見てオレだけじゃなく、全員が驚いた。
「こんにちは」と返事を返すよりも、先に「えーー」と言う悲鳴に近い声があちこちで沸いた。

10数人いる黒女の部員の髪が全員短く切られているというか刈り上げられていて、なかには坊主に近い髪型の子までいる。

ミラもスポーツ刈りと言ってもいいほど髪を短く切っている。
中学生の頃からミラは髪をポニーテールにして走っていた。校則で普段はポニーテールは禁止なのだが、走る時は大目に見ていた。
そのミラがオレに近づいてきて「先生、私が今年からキャプテンになりましたのでよろしくお願いします」とあいさつをしてきた。

頭を下げたミラの後頭部は、見慣れたポニーテールがすっかりなくなった代わりに、髪が短くなってつむじの形がはっきり見えるようになっていた。
オレはミラに会ったら「大会頑張ったな」とか「キャプテン頑張れ」と言葉をかけたかったのだが狼狽えて言葉が出ない。

そしてもっと驚いたことがあった。
「すみません。遅くなりました」と生徒の後からミラよりもさらに短く髪を刈り込んだ女性が声をかけてきた。

(はぁ?ミネ先生まで髪切ったの?)

なんとミネ先生ではないか。
ミラはまだ刈り上げた部分が黒かったけど、ミネ先生の頭はサイドも後ろも青白くなるくらいまで刈り上げられいる。これじゃあせっかくの美人が台無しじゃないか…。

びっくりして何を言っていいかわからなくなったオレはつい「ミネ先生まで髪切ったんですか?」と口にして、しまったと後悔した。
こんな髪型、イヤイヤ髪を切らなきゃいけなかったんだったら、きっと傷ついてしまうと思ったからだ。

ミネ先生は恥ずかしそうに「いやぁ…まぁ…。これからどんどん寒くなるのに、やっぱり変ですよね?この頭」

そう返されると何も言えなかった。
ちょっと気まずい雰囲気になったまま、練習が始まった。

ストレッチが終わるとミネ先生は
「私もマラソンが近いので、生徒と一緒に走ってきますね」とジャージを脱ぎTシャツ姿になってトラックに行ってしまった。
もうミネ先生の後ろで揺れていた髪はない。細い首と寒々しく刈り上げられた後頭部は別人のようだった。

2) 断髪の連鎖の始まり 〜ミラの断髪〜
全国駅伝大会A県予選。粒揃いのランナーが集まる今年の黒女は十分優勝を狙えるチームと言われていた。

大会本番。本降りの雨が降る中の女子の部は波乱が相次いだ。
1区で大本命と言われていた高校が失速、続く2区でも相次いで有力校が順位を落としていき、なんとここで黒女が単独トップに立った。3、4区と差を詰められはしたが、トップは譲らず、ついに最終区間までトップをキープしてタスキが繋がったのだ。
5区は2年生のミラが走る。アンカーを任されたミラだったが、雨という最悪のコンディションの中で不本意な走りをしてしまう。いきなり光北学院の選手に抜かれた後は大失速をして順位を落とし、結果5位になってしまった。

レースの後部員たちは全員号泣した。
帰りの電車に乗る頃には泣き止んでいたが、ミラはすごく落ち込んでいた。
実力を出し切っていれば、あそこまで失速することはなかったはずだ。1位のままゴールできたかもしれない。
私を追い抜いた光北学院の安部さんは同学年のライバルだ。彼女は中学時代は走るのに邪魔じゃないかと思うくらい長かった髪を、高校になるとバッサリ短く刈り上げて陸上に打ち込んでいた。これまで伸び悩んでいた彼女を見て「髪を短くしたくらいで結果なんて変わらないでしょ」と若干バカにしていたけど、その彼女に追い抜かれて優勝を逃してしまったのだ。

悔しい…。
こんな気持ちのままキャプテンを引き継ぐのは嫌だ。なんとか気持ちを切り替えたいと思った。
そして思いついた方法は「髪を切ること」だった。もしかすると安部さんの影響かもしれない。
もちろん美容室の予約はしていないし、家の近くの駅まで着いたけどもう夕方にさしかかっている。
だけど今すぐ髪を切りたいという気持ちが抑えられなくなっている。
こんな嫌な気持ちのまま家に帰りたくないのだ。

結果、駅前にある低料金の理容室に足を運んだ。どうせ短く髪を切るなら美容室じゃなくてもいい。
一応この店は「女性調髪2000円」と窓に張り紙がしてあるけど、女の人が散髪しているのを一回も見たことがない。
思い切って店の中に入ると「いらっしゃいませ」とおじさんたちが私を迎え入れた。

初めて入る理容室。店の中にはずらりと茶色の大きな散髪椅子が並んでいて、白い服を着た4人の理容師がいる。
すぐに私は奥から2番目の椅子に座らされて、おじさんにタオルとケープを巻かれた。

「今日はどのくらい切りますか」白髪が少し混じったおじさんの店員さんが、ポニーテールをほどき、櫛で髪を梳かしながら鏡越しに話かけてきた。

「あの。刈り上げてスポーツ刈りみたいにしてください」

「スポーツ刈りって言いました?大丈夫ですか?」おじさんはびっくりして聞き直してきた。
私は迷わない。
「はい。大丈夫です。走るのに邪魔なんで」ときっぱり言い切る。もう決心はついているのだ。
おじさんは前髪を少し後ろに流すように確かめながら梳かしていたが、割とさっぱりしていて
「わかりました。それじゃあ少し長めに上を残す感じで仕上げますね」と鏡の前にハサミを置いて私のそばから離れて、黒いバリカンを持ってやってきた。

「じゃあ、切っていきますよー。あんまり下向かないでねー」
後ろでバリカンのスイッチをカチッと入れる音がして、ブーーンという音は響いた。
「じゃあいきますよーー」おじさんは私の後ろ髪を櫛で持ち上げ、耳の後ろあたりからバリカンを入れて髪を一気に刈り上げていった。

ジャリジャリジャリ…バサバサバサバサ…。
よく見えないけど背中の方で髪が落ちる音がして、耳の後ろあたりが涼しくなった。

休む間もなくおじさんは私の後ろ頭を刈り上げていく。
ジャリジャリジャリ…バサバサ…。ジャリジャリジャリ…バサバサ…。
バリカンは想像以上に頭の上の方の髪まで刈り上げたている。首筋から髪がある感覚が全くなくなった。
今度は耳が折りたたまれながら横の髪が一気に刈り上げてられていく。
サイドの髪と一緒に前髪も眉毛の位置くらいまで一気にバリカンで切られていき、あっという間に肩の下まであった髪がなくなっていく。

(うわーやっちゃったなぁ…。大丈夫かな私?)

下を向かずに正面をまっすぐ向くように注意された。
前を向き直す時に、刈られた右半分の頭を確認すると耳が丸出しになり、後ろ頭まで一面が数ミリに刈られていた。
同じように左サイドの髪も耳を折られながら一気にバサバサと全部刈られてしまい、前髪とトップの髪だけが長く残った変な頭になってしまった。

ここでおじさんは霧吹きでトップの髪を濡らした。
いよいよ頭頂部の髪が切られていく。
再びバリカンのスイッチが入り、前髪が櫛ですくいあげられた。
数センチ残されて、櫛の上から髪がジョリジョリを刈られてケープの上に落ちてきた。
残された前髪はおでこの上の方にチョロリとあるだけ。
そこから頭の上に向かって、髪が同じように切られていく。
バサバサとあっという間に髪が切られて、頭の上が平らな感じで切られていく。

(なんか男みたいになっちゃったなぁ…)

思ったよりも短くされている。
前髪が若干存在する程度でトップの髪は数センチしかない頭は、きっと安部さんよりも短い。
バリカンのカットが終わると、おじさんは白い粉を頭にパサパサつけて、ハサミでチョキチョキを仕上げていく。

そして硬いブラシで頭をゴシゴシ擦られて
「はい。お疲れ様でしたー。これでどうですか?」と鏡で後ろ頭を見せられた。

ここまで10分弱。あっという間に散髪が終わった。

鏡に映った私の後ろ頭は…あれほどあった髪がなくなって黒くて丸い坊主頭のようになっていた。
(あぁ…本当に髪がなくなっている…)
一気に後悔と不安が押し寄せてきたけど、私は「これでいいです」と首を縦に振るしかなかった。

だって切っちゃったものはどうしようもないもの。
おじさんは私に確認をとると、ケープとタオルを外した。
安い店だからシャンプーもしないようだ。
私は椅子に座って、鏡を見ながら切ったばかりの頭を触ってみた。

ジョリジョリする感触。指の間に髪が絡まない喪失感。そして手のひらに感じる頭皮の体温…。違和感だらけで悲しいというより、可笑しくなってしまう。

「うわーすごいなーこの頭」ちょっと恥ずかしくなって呟いた私に、おじさんが「これ忘れもの」と言って、ポニーテールを作っていた紺色のヘアゴムを返してくれた。

だけどもうこの頭じゃ使わないなぁ…。お互いニヤッと笑いながら私はヘアゴムを受け取って手首に巻いた。ヘアゴムは雨に濡れてまだ少し湿っていた。

店を出ると、まだ雨が降っていた。少し冷たい空気を含んだ湿った風が刈り上げたばかりの耳や首のまわりに吹いてきた。
よしっこれで吹っ切れた。明日からまた頑張ろう。バッサリ髪を切って私はしっかり前を向くことを決めた。

次の日の朝。案の定私の周りは大騒ぎになった。
肩下まであった髪をいきなりスポーツ刈りにしてくれば、この反応は当然だろう。
だいたいが「どうしたの?ねえちょっとその頭触らせてよー」とキャーキャー言いながら近づき、ジョリジョリと頭を触ってくるパターンだ。
授業が始まるまで私は何人に頭を撫で回されただろうか。まるで子犬になった気分だった。
だけど駅伝部の友だちの反応は違った。「そこまで責任を感じなくていいのに」と心配そうに私に声をかけてきたのだ。私は「大丈夫よ。これで吹っ切れたから」と明るく返事をした。これは本心だ。
しかし誤解は解けることなく、事態は大変な方向に進むのだった。

(続く)

※スポーツの日にちなんだ作品です。
 過去の作品「駅伝カット」とも関連させています。
 まだ読んでない方はそちらもぜひ読んでみてください。
 今回も読んでいただき感謝します。
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 続編・次回作もよろしくお願いします。

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